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【平成22年1月22日更新】

文化施設[萩原朔太郎記念館]

「萩原朔太郎記念館」について
萩原朔太郎記念館
前橋市北曲輪町69番地にあった生家のうち、土蔵は昭和49年7月30日に現在地に移築し展示施設として昭和50年4月1日に一般公開した。書斎は昭和53年11月30日に、離れ座敷は昭和54年12月20日にそれぞれ現在地敷島公園ばら園内に移築し、昭和55年5月11日、記念館として一般に公開している。

土蔵
 離れ座敷から庭を望む左手にあって、全体の敷地からすると南東のすみに位置していた。このため、表通りからはっきりと見えた。

書斎
 生家の裏庭にあったもので、元来は味噌蔵として使われていたものであるが、大正2年秋に工事をはじめ約3か月を要して書斎に改造したものである。インテリアは西洋建築風に統一され、装飾や家具類の様式は、当時の前橋としては極めて先端的なものであった。これは朔太郎自身の考案によって整えられたものである。

離れ座敷
 母屋と接続する渡り廊下で結ばれた純和室で、8畳の部屋と床の間を配し、円窓のある部分には違い棚がある。母屋からの渡り廊下に近いところには水屋があって、全体が萩原家の客室としての感じになっている。この部屋からは築山をあしらった立派な庭園が眺められ、池が造られていた。この池は、「萩原朔太郎記念館」の整備に伴って、離れ座敷の移築とともに当時のままに復元されている。

生家跡
萩原朔太郡の生家は、前橋市北曲輪町(きたくるわちょう)69番地(現・千代田町二丁目1番17号)にあった。父密蔵は名医として信望篤く、一時期は患者に整理札を出すほどであったという。 

萩原朔太郎            −萩原朔太郎(1886〜1942)−

 明治19年、千代田町の医師の家に生まれました。北原白秋に師事し、26歳のときに「夜汽車」他5編の詩で中央詩壇にデビュー。大正6年の処女詩集『月に吠える』で、一躍全国に名を知らしめ、その後も『青猫』『純情小曲集』『氷島』など次々に発表。日本近代詩に不滅の金字塔をうちたてました。敷島公園内に記念館があり、詩碑も市内各所に6基建てられています。
[詩碑]
[詩碑]
 
 
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