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前橋めぐり「詩人の紹介」

最終更新日:2011年9月30日(金)ページID:003270印刷する

前橋めぐり「詩人の紹介」について掲載しています。

萩原朔太郎

萩原 朔太郎朔太郎の作品
その1その2その3郷土望景詩郷土望景詩の後に
明治19年から昭和17年(1886年から1942年)
詩人。父密蔵は前橋の開業医。前橋中学校卒業後、熊本の第五、岡山の第六高等学校に学んだが中退。1917年詩集「月に吠える」によって、日本近代詩に不滅の金字塔をうちたてた。朔太郎の詩業は、近代的思想を感覚的にうたいあげ、我が国における口語自由詩を確立した。「青猫」「氷島」などの詩集のほか、多くの評論集がある。墓所は市内田口町政淳寺にある。

萩原恭次郎

萩原 恭次郎恭次郎の作品
明治32年から昭和13年(1899年から1938年)
詩人。勢多郡南橘村日輪寺(現在前橋市)の農家に生まれる。前橋中学校卒業。壺井繁治、岡本潤らを知り、1923年雑誌「赤と黒」を創刊。社会主義的な傾向を強め、1925年詩集「死刑宣告」を出版。39歳の生涯は、たえず前衛芸術運動の先頭に立ち、近代詩の変革を模索した。詩集「断片」(1931年)のほか、没後「萩原恭次郎詩集」が刊行されている。

高橋元吉

高橋 元吉元吉の作品
明治26年から昭和40年(1893年から1965年)
生家は前橋の書店煥乎堂。前橋中学校卒業。大正初期、武者小路実篤、柳宗悦、千家元麿、長与善郎ら白樺派の文学者との交友を深め、地元にあっては萩原朔太郎と思想・文学について一時期往復書簡を交すなど相互に影響関係を持った。長兄の死後書店経営にたずさわり、詩集「遠望」「耽視」「耶律」を出版。1963年「高橋元吉詩集」(1962年)で高村光太郎賞を受賞した。

平井晩村

平井 晩村晩村の作品
明治17年から大正8年(1884年から1919年)
小説家・詩人。生家は酒造業。前橋中学校中退後上京。早大高師部国漢科卒業。報知新聞記者時代に「明治三大探偵実話」「風雲回顧録」などを書き文筆生活に入る。「少年倶楽部」「日本少年」などに少年小説を寄せ「武侠世界」「面白倶楽部」などに歴史小説を発表した。また民謡詩人としても知られ「野葡萄」「麦笛」などの詩集がある。

山村暮鳥

山村暮鳥暮鳥の作品
明治17年から大正13年(1884年から1924年)
詩人・児童文学者。本名土田八九十。現在の群馬郡群馬町に生まれたが、郷里の堤ヶ岡尋常小学校教員時代に、前橋の聖マッテア教会の英話夜学校に通い洗礼を受けた。その後伝道師として秋田、平、水戸などで布教。萩原朔太郎、室生犀星と交友を重ね、詩集「三人の処女」「聖三稜玻璃」などを出版。晩年は茨城県大洗にあって、詩集や童謡・童話など多数を残した。

伊藤信吉

伊藤信吉信吉の作品
明治39年から平成14年(1906年から2002年)
詩人・文芸評論家。元総社町の農家に生まれる。萩原朔太郎、室生犀星に師事、1928年に上京して「ナップ」に加盟、プロレタリア文学運動に加わり、詩文学を中心とした著作をつぎつぎに発表した。またすべての「萩原朔太郎全集」、「室生犀星全集」の編集にあたるなど、多くの編集・研究論考がある。1973年「ユートピア紀行」で第2回平林たい子賞、1976年「萩原朔太郎1・2」で第28回読売文学賞、1977年「天下末年」で第9回多喜二・百合子賞、1979年詩集「望郷蠻歌・風や天」で翌年第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞した。

東宮七男

東宮七男七男の作品
明治30年から昭和63年(1897年から1988年)
詩人。勢多郡宮城村に生まれる。群馬師範を卒業。萩原朔太郎に師事、後に萩原恭次郎らと前衛的な詩活動に入る。1938年に「東宮鉄男伝」編集のため満州(現在の中国東北)に渡り、終戦後帰国。群馬ペンクラブを興し、「鶴」を刊行。詩集に「魚鷹」「遍羅」がある。郷土詩人の研究著作も多く、県文化功労賞、高橋元吉賞などを受賞し、群馬ペンクラブ会長、県文学会議副会長などをつとめていた。

お問い合わせ先

文化国際課 

  • 電話:027-898-6522
  • ファクス:027-224-1188

〒371-8601 群馬県前橋市大手町二丁目12番1号(地図・開庁時間等)

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