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前橋市の上水道の歴史1

最終更新日:2011年10月5日(水)ページID:003615印刷する

布設が決まるまで1

建議書の提出

明治・大正の時代は、井戸水や河川の水を家事用や工業用水として使用していました。市の中央部より南側の地区の井戸水は、水質が悪く(伝染病の発生など) 、河川には水の無い時期もあるなど、とても不便をしていました。
そこで、水道の布設を要望する建議書を大正6年8月2日、当時の市会議員11名が建議者となり、市会議長・岡田養平に提出しました。
(建議者名、後記)

調査開始(水源調査~決定)

市は、大正7年から大正9年まで調査費を計上して、市内の井戸を調査。飲料水としての適否を3、321か所調査しました。又、工業用水として1、258か所を調査しました。
一方、他市の状況などを詳しく調べた結果、前橋市には上水道が必要との判断を下しました。
水源の第一候補地として、「勢多郡南橘村大字上小出字川原地区の地下水」を選定。また、第二候補地として、「広瀬川の流水を引用する」としましたが、広瀬川は、大正12年に吾妻川上流の白根硫黄採取所の沈殿池決壊による硫黄流出事故があました。大正13年7月20日には再び白濁した水が流下するなど、水源としては不適当と判断しました。
水源の第一候補地とその関連地や、お艶岩の上流、及び臨江閣の泉水付近など3か所に井戸を掘って水質調査や水量調査を行った結果、上小出地区を水源とする決定をしました。

上水道布設計画案の完成

大正11年4月30日、中島鋭治博士により布設計画案が完成しました。
市は、各方面から意見を聴取。市長・木村二郎(当時)は、大正13年から4年間で上水道の布設をする方針を決断しました。

調査設計

大正11年6月、水道界の権威者、中島鋭治工学博士と岡田卯之助工学士に調査設計を委嘱し、大正12年5月、調査設計が完成しました。9月議会に提出するための準備中に、関東大震災に遭遇し、前橋市として水道布設事業の無期延期を決定しました。
(その内容は、昭和2年に前橋市の人口8万人、1日の最大給水量を1万6千立方メートルと推定しており、当時としては余裕のある設計でした。)

上水道布設を決定

市民は、水道布設に関する促進陳情書を議会に提出。大正13年11月24日、議会は、上水道布設議案を布設費261万円で即決しました。
また、続いて内務省の若槻礼次郎は、大正14年8月25日、前橋市の水道布設を認可しました。
更に、市では起債の許可を受ける為、内務・大蔵大臣に申請をし、大正15年3月22日に許可を得ました。

布設費の調達(大正13年11月24日議案書より)

市債
91.9%
市費
1.2%
国庫補助金
0.8%
県補助金
6.1%
合計
100%(261万円)

お問い合わせ先

浄水課 

  • 電話:027-231-3075
  • ファクス:027-234-9525

〒371-0036 群馬県前橋市敷島町216(地図・開庁時間等)

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