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富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録を祝して

最終更新日:2014年9月26日(金)ページID:012932印刷する

 近代化遺産では初の快挙 

写真「富岡製糸場」
富岡製糸場(画像提供 富岡市・富岡製糸場 )

 「富岡製糸場と絹産業遺産群」が国連教育科学文化機関(ユネスコ) の世界文化遺産に登録されました。
 絹産業遺産群は、富岡製糸場(富岡市)を中心に田島弥平旧宅(伊勢崎市)・高山社跡(藤岡市)・荒船風穴(下仁田町)です。登録への取り組みは2003年から始まりました。11年にも及ぶ官民挙げての運動の成果が実を結びました。改めて関係者の皆様に敬意を表するとともに、お祝いを申し上げます。
 わが国の世界遺産は文化・自然遺産を含め全体では18件目ですが、日本の近代遺産では初となる快挙です。

日本を支えた糸柱

 幕末開港以来、生糸と茶が、わが国の二大輸出品で、これで外貨を獲得し近代化を進めました。
 生糸の品質向上と増産は、欧米列強諸国と肩を並べようとした明治政府の重要な課題で、こうした理由から、官営富岡製糸場が明治5年(1872)にフランスの技術を導入して設立されました。

藩営前橋製糸所と速水堅曹

写真「速水堅曹」
速水堅曹(速水壽壯氏所蔵 )

 さて、官営富岡製糸場が創業する2年前の明治3年(1870)に、前橋藩はスイス人技師ミューラーの指導により藩営前橋製糸所を設立しました。前橋藩の責任者は小参事・深沢象(ふかさわゆうぞう)で、直接の仕事は生糸取締役に任じられた速水堅曹(はやみけんそう)が担当しました。
 前橋藩営製糸所の歴史はわずかに2年余りですが、東京大学名誉教授・石井寛治氏は藩営前橋製糸所は官営富岡製糸場と並ぶ技術伝播の有力拠点となったと、歴史的な価値を高く評価しています。
 当時の製糸業最先進国イタリアで数十年にわたって製糸業の経験を積んだミューラーから、器械製糸技術を学び取ろうとして必死の努力を重ねた速水は、このときの経験をもとに、日本最高の製糸技術者の地位を確立しました。
 速水は、富岡製糸場の第3代、第5代の所長も務めています。

官営富岡製糸場と前橋の能役者

 速水堅曹が富岡製糸所(明治9年に富岡製糸所と改称)の所長に就任すると、正月には前橋から能役者を招き、従業員が能と狂言を楽しむことを恒例としました。
 速水は、『六十五年記』という自叙伝を残しましたが、同書に次の記述があります。
 明治二十五年一月一日晴/吉例の如く官員始工男女の年礼をうく。本月四日工男女を慰めんと前橋上り、能役者を呼、能を行ふ/(能)加茂(かも)、春栄(しゅんえい)、鉢木(はちのき)、船弁慶(ふなべんけい)、祝言高砂(しゅうげんたかさご)、狂言栗焼(きょうげんくりやき)、末広かり、惣八(そうはち)、船弁慶間(あい)等なり。
 当時の前橋市では、藩の能役者であった日吉(ひよしよしきち)が、前橋謡曲会を結成し、謡曲・仕舞・能を指導していたので、富岡製糸所で演能をしたのは、日吉一門であると考えられます。

前橋の先人の貢献

 藩営前橋製糸所は富岡製糸場とともに器械製糸技術の全国的普及の原点となり、その経験が速水堅曹を通して富岡製糸場の運営に生かされました。また、多くの製糸場が立ち並んだ前橋の製糸業は、富岡製糸場とともに日本の近代化に貢献しました。
 歴史的に見るならば、私たち前橋の先人の努力も、富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録に貢献したことになります。世界遺産登録を祝すとともに、これまで埋もれていた速水堅曹をはじめとする前橋の先人に敬意を表します。

お問い合わせ先

前橋市

  • 電話:027-224-1111(代表)
  • ファクス:027-224-3003

〒371-8601 群馬県前橋市大手町二丁目12番1号(地図・開庁時間等)

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