酒井雅楽頭家(さかいうたのかみけ)

あらまし

酒井雅楽頭家

イラスト 井田ヒロト

徳川家の祖父方である松平家と同祖とされる酒井広親(ひろちか)からの家系。慶長6年(1601)、初代酒井重忠(しげただ)が当時の厩橋城に3万石で入封してから9代150年にわたり前橋を治め、前橋の町割りの基礎を築き上げました。

徳川家康から前橋城(厩橋城)を任される際、「汝に関東の華をとらす」と言われたとされ、以来前橋は「関東の華」と称されるようになりました。

4代忠清と5代忠挙

4代忠清(ただきよ)は、寛文6年(1666)、4代将軍・徳川家綱のもとで幕政の最高職である大老を務めました。屋敷は江戸城大手門前の下馬札前にあり、これより先は将軍の権威の象徴として馬から下りて入らなければなりませんでした。この下馬札と権勢の強さから、忠清は「下馬将軍」と称されました。近年の研究では、忠清が中央の激務中でも前橋領民を思い、藩政に心血を注いだ姿が明らかになりました。

5代忠挙(ただたか)は、それまでの武断政治から文治政治への転換期に藩主を務め、前橋藩の体制整備に尽力しました。藩校「好古堂」や「求知堂」の創設による教育振興、前橋風土記の編纂による文化振興、新田開発などの産業振興とあらゆる分野で治績を残しました。名君と呼ばれ、忠挙の墓石のこけを水で飲むと病気が治ると言われるほどでした。

龍海院と酒井氏歴代藩主墓地

酒井雅楽頭家の菩提寺は、前橋市紅雲町の大珠山是字寺龍海院です。徳川家康の祖父で岡崎城主の松平清康は「是」の字を左手に握った夢を見ます。領内の龍渓院の模外惟俊住職にその意味を尋ねたところ、「この字は日・下・人に分けられ、これを握るということは、戦国の世を統一する前兆である。あなたの代に実現しなくとも孫の代までに実現する。」と言われ、喜んだ清康が“大珠山是字寺”龍海院を創建したと伝わっています。

境内南西の約1千坪という広大な敷地には、初代から15代までの酒井家歴代藩主の墓が立ち並んでいます。特に、酒井家が姫路に転封となった9代以降の大名墓も揃っている点は極めて稀な例であり、全国的に見ても貴重な史跡となっています。

龍海院

龍海院(酒井家墓所)

酒井家歴代藩主の墓

酒井家歴代藩主の墓(15代まで)

酒井雅楽頭家管弦講の夕べ

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更新日:2019年06月12日