令和6年度前橋市戦没者追悼式について
先の大戦で亡くなられた戦没者に対し心から追悼の誠を捧げ、恒久平和を祈念するために「前橋市戦没者追悼式」を実施しました。
1 主 催 前橋市戦没者追悼式実行委員会
2 日 時 令和6年9月21日土曜日 午後1時30分開式
3 会 場 前橋市総合福祉会館 多目的ホール (前橋市日吉町)
4 参列者 253人
遺族 189人
来賓、関係者 64人
前橋市議会議員、戦没者追悼式実行委員会委員、関係団体の代表、
前橋市立前橋高等学校生徒代表、行政関係者
5 内 容
•開式
•拝礼
•国家斉唱
•式辞 前橋市長
•黙とう
•追悼のことば 前橋市議会議長、群馬県遺族の会前橋市連合支部支部長
•平和への誓い 前橋市立前橋高等学校生徒
•献花 前橋市長、群馬県遺族の会前橋市連合支部支部長、
群馬県遺族の会会長、前橋市立前橋高等学校生徒、
市内ご遺族、戦没者追悼式実行委員会委員、
前橋市議会議員、関係団体代表、行政関係者
平和への誓い 前橋市立前橋高等学校 3年 小林 百華
平和への誓い
突然、理不尽に日常が断ち切られ、大切な人と引き裂かれる。今、日本で生活している私達からしたら考えられないような、いや決して考えてはいけないような出来事が世界では起こっています。目をそらしたいような悲しい出来事が他の国では起こっているのです。その戦いによって悔しく、悲しい心の傷は簡単に癒えるものではありません。人の命を奪い、心に傷を負うような暴力を私達は正当化してよいのでしょうか。
日本は約八十年前、人の感情も行動も常識さえも壊してしまう戦争に参加しました。数えることができない犠牲者が出て、罪のない人々が苦しみました。耳を澄まして心を研ぎ澄ませると、あの日の朝、自分の未来や、夢を語り合う子どもたちの声が聞こえてきます。一人一人の被害者には家族がいて、愛する人がおり、それらすべての思いが一瞬にして絶たれました。
私は高校二年生の時の修学旅行で沖縄戦のことや、沖縄の歴史について学びました。兵士だけでなく住民までもが戦闘に駆り出されてたくさんの人が亡くなったと知りました。ですが、私は自分たちが住んでいる前橋市の戦争被害は知らないままでした。前橋での空襲で多くの人が亡くなり、たくさんの被害が起こっていたと知ったとき、自分の住んでいる街の歴史を知らないのは、あまりにも無責任だと思い、祖母に詳しく聞いてみました。
私を優しく包み込み、一番の理解者である祖母は昭和二十年の終戦の一ヶ月前に押し入れの中で生まれたといいます。鳴き声を出せず、食べ物も十分に得られない幼少期を過ごし、毎日を生きることが精一杯だったと聞きました。曾祖母は、祖母のことを抱いたまま畑を逃げ回り、頭上に戦闘機が見えた時、せめて子どもだけでも助かってほしいと思ったと教えてくれたそうです。戦時中のことを教えてくれている祖母は現在、余命宣告を受けながらも、病と懸命に戦い続けています。認知症で何秒か前の出来事や会話を覚えていないこともあります。しかし、曾祖母から聞いた戦時中の辛い思い出は覚えています。この辛く、苦い記憶が祖母から消えてしまえば戦争は終わりなのでしょうか。祖母だけではありません。戦争を経験し、犠牲になった彼らの記憶がなくなればなかったことになるのでしょうか。戦争を経験した方たちが高齢となり戦争を知らない世代が増え、犠牲者の苦しみは時とともに忘れ去られてしまおうとしています。
私達は知ることができます。伝えることができます。戦争を経験し、つらい思いをした方々のことを記憶することができます。決して繰り返さないように。彼らの記憶を途絶えさせないように。願うだけで平和は訪れません。平和は彼らの記憶から生まれるものです。彼らの思いを着実に次の世代に引き継いていくことが今を生きる私達に課せられた使命なのです。
令和六年九月二十一日 前橋市立前橋高等学校 小林百華
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更新日:2024年09月27日