定例記者会見概要版(令和6年7月12日開催)
令和6年7月12日に開催された定例記者会見の要旨です。
日時
令和6年7月12日(金曜日)午後2時~3時
会場
市役所 4階 庁議室
動画配信(前橋市公式ユーチューブ)
はじめに
(市長)
先日、6月28日(金曜日)、29日(土曜日)で第1回目のタウンミーティングを開催しました。たくさんの方に参加をしていただき、2日間で400名を超える市民の方に参加していただきました。初めての開催だったので、質問の時間が足りない、手をずっと挙げていましたが指されなかったというようなアンケートの結果も出ていますが、いろいろな方に参加していただき、いただいたご意見を今後の市政運営に生かしていきたいと思います。引き続き市民参加のまちづくりを進めていきたいと思っています。また、7月4日(木曜日)には加藤鮎子大臣を招き、「こどもまんなかリレーシンポジウム」を開催しました。シンポジウムの前にまえばしプラザ元気21の子育て関連施設や親子プラスのデジタル化の取り組みについても視察をしていただきました。
シンポジウムでは経済界との連携や、若者の立場で、今回、学生がゲストで出演をしていただいたので、そういったところに関しても高く評価していただけたと思っています。これから、こども条例やこども計画を作っていく上でのキックオフになったのではないかと思います。引き続きあらゆる世代や団体を巻き込んで、こども政策の重要性を共有していきたいと思っています。
そして、7月1日(月曜日)から新しくデジタル政策担当部長として着任した藤田部長を紹介します。
(藤田部長)
7月1日(月曜日)付で着任いたしましたデジタル政策担当部長の藤田です。庁内の横断的なデジタルトランスフォーメーションの取り組みや、市内の事業所と連携したデジタルプラットフォーム上の様々なサービスの展開を推進していくといった役割を担うと考えております。以後、よろしくお願いいたします。
(市長)
早速、この3日間の総括、質疑でも答弁してくれて、これから期待をして色々と一緒にやっていけたらと思います。
1 案件説明
(1)(仮称)前橋空襲と復興資料館の開館に向けたプレ事業を開催します
(市長)
本市では、現在整備を進めている「(仮称)前橋空襲と復興資料館」の今年度中のオープンに向け、プレ事業をスタートさせます。
そのプレ事業として、7月22日(月曜日)から8月15日(木曜日)まで、市役所1階ロビーで「前橋空襲と復興資料館プレ展示」を開催します。例年、実施している平和事業のパネル展示に加え、今年は資料館で展示予定の一部資料を先行して公開しますので、是非お立ち寄りください。また、前橋空襲があった8月5日(月曜日)には、神社寺院教会が宗派の枠を超え、市民と共に一斉に平和を願う「前橋空襲一斉慰霊」を行います。中心市街地の7つの慰霊会場では、前橋学市民学芸員による前橋空襲の解説を行うなど、参列者をお迎えする体制も整えています。16時50分には、市内全域で一斉に鐘や太鼓が鳴りますので、市民の皆さまは是非それぞれの場所で平和を願っていただければと思います。
このほかにも、年度内のオープンに向けて、順次プレ事業を行っていく予定です。詳細がまとまりましたらその都度発表させていただきます。資料館の整備状況については、現在、基本設計が終わり展示の大枠がまとまったところです。展示内容の詳細については、検討委員会から説明をお願いします。
(手島委員長)
まず、概要を説明する前に、委員会とその経過についてお話します。委員の構成は学識経験者として岩根承成先生(群馬県立県民健康科学大学の講師)、吉良芳恵先生(日本女子大学名誉教授)、私、市側からは、文化スポーツ観光部小坂部長が委員となっています。そして、事務局は文化国際課と共生社会推進課が担当しています。委員会の役割はこれまで市長に資料館を作って欲しいと提言書を提出しました。この提言書に様々な市民の方の思い、意見が込められているので、委員会としては如何にこの提言書を具現化するかということで検討を行ってきました。令和4年6月29日に第1回の会議を持ったので、ちょうど2年が経過して概要が決まりましたので、本日報告ということになりました。その前に、検討会の2年間の活動について報告します。まずは、委員で提言書の具体化、具現化するかということの話し合いを行いました。次に先進の研究の学習会、勉強会を委員としても最新の成果を勉強して議論をしないといけないということで菊池実、田名網雅久、工藤洋三、大谷明應、小林啓祐、栗田尚弥、この6人の先生方の話を聞いて学習を深めました。それから、戦災地の視察としてそれぞれの自治体で開館している資料館を視察しました。令和4年度は兵庫県姫路市、岡山県岡山市、香川県高松市、令和5年度は静岡県静岡市、浜松市、東京都という形で視察を行いました。それから、若い世代との意見交換で前橋商業高校の3年生と意見交換をしました。地域の人との意見交換では元総社地区の歴史を語る会の皆さんが前橋だけではなく、元総社も空襲にあって12人の死者が出て、100戸以上の家屋に被害が出たということも展示に生かしてほしいと地域の方々とも話し合いを行いました。それから、さらに開館して小中学生に見てもらわなければということで、教育委員会の指導主事の方々とも意見交換を行いました。ここまでの会議については公開をして、報道機関の皆様にも傍聴していただき、紙面で細かく報道していただいたことにより、大変お助けをいただきました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。そして令和5年の1月から具体的な展示内容を決定する作業に入りました。ここからは非公開にしました。その理由としては先進資料館の長所や短所を指摘や、証言や研究の資料批判をすると、関係者に不快な思いをさせたり、あるいは誤解を招いたりということが懸念されます。とりわけ、先進自治体は財政面など様々な制約の中で資料館を運営しているので、そのようなことは自治体に対して迷惑がかかるので非公開で議論をしました。そこで決定したことを今日ここでご報告します。
まずこの展示室、これがパース図ですが、市民文化会館2階の旧食堂の部分を資料館として開設をします。入口から入り、大きく3つの部屋に分かれていて、見ていただくという導線になります。次の図は下からになりますが、最初のところがエントランスで、本館の成り立ちをここで分かってもらい、そして次に入って、資料で見る戦争と暮らしのコーナーになります。次が前橋空襲のコーナーで、その次が復興のコーナーです。そして、慰霊のコーナーです。ずっと回って出口に向かって、最後のところで図書コーナーとマチダ文庫という形になっています。詳しく説明させていただきます。まず入って、館名のサインがあり、昭和39年前橋市で『戦災と復興』というものを編纂しました。その中の証言に、空襲の前に米軍は「前橋よいとこ糸のまち、8月5日は灰のまち」という空襲予告ビラを配ったという証言があるので、まさにこの言葉「前橋よいとこ糸のまち、8月5日は灰のまち」を館名サインとして置きます。そして、入り口に入って、象徴展示があります。これについては、全国的に昭和11年群馬県でも知事を先頭にして大規模な防空演習を行いました。まだ、日中戦争が始まっていませんが、国全体は高度国防国家建設に向けて、動員体制を作ろうとしていたわけです。この市役所の隣に桃井小学校がありますが、その6年生の男子がもし前橋が空襲されたらという作文を書いて「桃の花」という学校の冊子に載せています。当時も問題解決学習というものがあり、その作品を400字詰め作文用紙3枚展示します。前橋空襲復興資料館は戦争を知らない世代に前橋空襲を伝えようということを目的としているので、90年前に書かれた児童の作文を通して同年代のこどもたちが、まず何を感じてくれるかをここで見ていただきます。そして、入ったところに受け付けがあり、次に本館の成り立ちを映像で伝えます。もともとこの資料館は戦後70年を前にして、前橋空襲を風化させないという市民の思いをもとに検討会、提言書、そしてこの検討委員会というプロセスを経て誕生しました。この過程については、NHK番組のクローズアップ現代でも取り上げていただき、まさに本館の特色でもあるので映像で展示します。ここまでが序章ということで、意識を切り替えて展示の世界に入るという形で想定しました。そして、本格的な展示ですが、まず資料で見る戦争と暮らしのコーナーですが、最初に群馬県の歌があります。これが、戦前はどんな時代であったのかといった雰囲気を感じてもらいます。昭和11年に群馬県の歌が作られました。当時の君島清吉(知事)の肝いりで作られたこの歌は「群馬県というのは崇神天皇のこども豊城入彦命が切り開いた土地なんだ」そして豊城入彦命は赤城山に祭られているという、古事記日本書紀の記紀神話という世界観で歌詞が作られています。翌年、日中戦争が始まり、軍国主義の風潮がまさに復興的な記紀神話の世界観が全面に押し出されて時代の雰囲気になりました。まさに群馬県の歌はそのような時代を象徴しているのでここで聞いてもらいます。歌詞は記紀神話の世界、そして曲は古関裕而のような大変勇ましい曲になっています。これは復興というところに「復興群馬県の歌」というものがあります。これについてはまさに戦後を象徴していて、青い山脈のような「ここには青い空だ 虹の山脈だ 開く自由だ 希望 文化」のようなことになっていて、戦前の国防国家建設の時代、戦後文化国家の時代、時代を知らないこどもたちに歌を通してまず知ってもらい、そして対象比較してもらうという展示となっています。そして、下の固定ケースのところはもともとこの資料館はあたご歴史資料館とマチダ平和資料館の両館が閉じるということで、前橋市に寄託を受けたということが大きな流れとなっています。その資料100点余りを展示します。展示については、兵士の祈り、戦時下の必需品、軍曹品とこの3つのカテゴリーに分類して100点の資料を並べます。この兵士の祈りというところで、召集令状、赤紙、出征兵士の家に掲げられた表札、千人針、入営ののぼり旗、寄せ書き、入隊受隊の記念品、戦時下の必需品では戦時下の生活の代用品、兵士の送迎慰問などに使われた用具、防火防空のための道具、戦意高揚戦争協力の装置等を展示します。軍曹品のところでは、軍隊手帳、軍簿、兵士用の軍服、水筒、飯盒などを展示するということになっています。まさにここは、これからの時代は戦争の体験者から物を通して学ぶというアイデアになります。そして、上が3つのテーマになっていまして、1つが出征兵士からの手紙、いわゆる軍事郵便です。これを映像で示します。前橋の桃井小学校の南に代田秋造さんという方が住んでいました。この方は昭和16年に出征し、満州の舞台を転戦し、昭和18年、ニューギニアに派遣され、翌19年4月に戦死しました。この2年8カ月の間に妻の房子さんに100通余りの手紙を書き、送っています。出征当時、秋造は33歳、妻の房子は28歳、長男の智之は3歳、次男の昌弘は1歳でした。幼い2人を抱えて戦後生きぬいた房子さんにとって、夫からの軍事郵便はまさにお守り代わりであったと思われます。手紙を通して夫と妻は何を語ったのでしょうかと。実物を映像化して翻刻文を並べて、全ての書簡を読めるようにしました。この書簡類は、もともとは長男の智之さんが終活を考える中で、あたご歴史資料館へ寄贈したものです。市で引き取る際に、私がその歴史的価値を認めて、市民学芸員のみなさんの協力を得て報告し、文化国際課の大島さんと代田家へ調査に行き、解明した成果をここで発表するということで、かなり貴重な研究成果がここで発表できると思います。資料館展示に関して、全てこのような1点1点調査をしたので、開館まで2年かかりました。次は出征兵士が描いた戦線スケッチということで、これが当時群馬郡東村東国府、現在の高崎市に生まれた住谷完爾さんが昭和16年に出征して、満州を経て、中国に転戦し、今の広州、昭和18年にニューギニアに派遣されます。完爾さんは幸い生きて帰ることができましたが、中国にいたときに完爾さんは画家ではありませんが、川端画学校でスケッチ絵を学んだため、画家並みの能力がある方です。戦後完爾さんは県庁に勤め、前橋の大利根町に住みました。完爾さんは戦時中に描いたスケッチを長く書簡にしまっていましたが、昭和51年に県庁を退職すると、8月に画集戦人住谷完爾戦線スケッチ集を出版しました。なぜ出版したかというと、戦死した戦友の家を回って仏前にこのスケッチ集を手向けるためでした。これが出征兵士住谷完爾の戦争との向き合い方でした。ある戦友の家では、畑仕事をしていた女性が、スケッチ集を見て、「これが父ちゃんが過ごした戦地ですか?」と食い入るように見たそうです。戦地で完爾さんは戦友に奥さんが赤ちゃんを抱っこしている写真を見せてくれたのを思い出し、その時の赤ちゃんがこんなに大きく成長したのかと思ったそうです。住谷完爾さんの家は非常に頭のいい家で叔父さんは非戦論を唱えた住谷天来、兄は同志社総長を務めた住谷悦治、上の兄は萩原朔太郎の指導を受けた歌人住谷三郎、次の兄は画家の住谷磐根という人で、私自身も40年間住谷家に通って調査をしましたが、完爾さんはこのことを家族にも親戚にも誰にも言いませんでした。たまたまスケッチをいただき、資料館で展示することは、亡くなった完爾さんも喜んでくれるのではないかと思います。次のところは戦時下の女性の服装の画像を資料と共に展示をします。一般的に色々なところで自由がないと言われていますが、実は輸入が絶えて、国産できる繊維資源の絹は軍事に優先されると昭和17年に厚生省は婦人標準服を制定し、タンスの中に眠っている衣料品の活用を進めて、戦時下のファッション流行を作ろうします。和装着物は、空襲において欠点があり、帯や身体を締め付ける、袖はひらひらして不自由である、裾は乱れやすく歩きにくい、避難、消火には不向きであるということで、日本的性格を具現した東亜女性の服装を作ろうという観点からファッション雑誌がたくさん出ます。そのうちの2点、「東亜の服装」と「東亜の装い」という2つの雑誌を実際に展示しようと思います。中のものは画像の映像としてお見せします。東亜の服装はマチダ平和資料館の寄贈資料の中から見つけて、これは非常に歴史の価値があるものだと思って展示を進めようとしたところ、慶應大学の玉井清先生に話したら、僕の資料の中にもあるとのことで、前橋のために「東亜の服装」という雑誌を寄付していただきました。これまで光が当たってこなかった戦時下の女性のファッションというエリアを作りました。こうして、時代を体感するエリアということで、1番の群馬県の歌、2番の出征兵士の手紙と戦線スケッチ、戦時下の女性の服装。群馬県の歌は空気感を、出征兵士は臨場感を、戦時下の女性の服装は生活感を感じてもらおうというエリアになります。その上の北面は提言書の中に、焼けた前橋だけでなく、戦前の華やかな前橋の様子を知りたいという声があったので、昭和9年の市街地の上空から撮った写真がありました。もう1つ同じ年に作られた鳥瞰図の大家吉田初三郎の鳥瞰図があります。なぜこの2つが昭和9年になるかというと、昭和9年に陸軍特別大演習と県内行幸があります。天皇陛下に見せるための冊子を作るための写真です。なので、最も前橋が栄えていた時の写真です。こういうものが一夜にして灰になったということを見ていただくことになります。隣は年表です。どこの資料館にも年表がありますが私たちの資料館では昭和3年から昭和20年まで前橋、日本、世界の出来事を年表にしました。なぜ昭和3年からにしたかというと、昭和3年にパリで不戦条約が締結されます。その第1条に締結国は国際紛争解決のため、戦争に訴えることを非難し、かつ、その相互の関係において国家政策の手段として戦争を放棄することを、その各々の人民の名において厳粛に宣言する。つまり世界各国が戦争をしないことを誓いました。この条約には日本を含む62か国が署名しました。まさに世界的に戦争に訴えることをやめようと誓ったわけですが、残念なことに現実は第2次世界大戦に進んでいきました。時間軸から学んでいただくというコーナーになります。いよいよこのようなことを学んだうえで、前橋空襲に移ります。前のコーナーがあたご歴史資料館とマチダ平和資料館からの寄贈資料をもとに戦争と暮らしを語ったのに対し、これからのコーナーは前橋市が編纂した昭和39年の「戦災と復興」とアメリカ側の資料をもとにした研究資料をもとにこの2つのコーナーを作りました。アメリカ側からの資料が上空の目、鳥の目ならば、「戦災と復興」に収められた目は地上の目、虫の目となります。鳥の目と虫の目によって前橋空襲と復興を多角的に伝えようというコンセプトになっています。最初のところは、アメリカ軍がどのように日本を空襲したかというような点でこちらの壁面で展示をします。反対の展示のところで、日本群馬県前橋市の市民はどうやって防空体制を作ったのかを展示します。その中で、空襲予告ビラや元総社地区の小野澤家では家族会議を開いて、もし空襲が起きたらこのように家族は逃げるのだ、戦後はこうやって生きるのだというメモを展示して、当時の市民が何を考えたのかということを展示します。このような攻めと守りの資料を文字から読み取ることは難しいので、映像ドキュメンタリー前橋空襲という映像10分~15分くらいの映像で理解をしていただくと。さらにこの資料館のメイン展示となるように映像をここで流します。そして上に行って、ここは前橋を焼いた焼夷弾がどのようなものかということで、焼夷弾について多角的に種類や威力、効果、群馬県内で落とされた被災の状況などを展示します。床面は前橋の地図を示しています。上のところは空襲直後の状況で支援の炊き出し、医療体制、特に支援の炊き出しでは前橋では空襲をされることがわかっていて、周辺町村から19万食のご飯が届けられ、5日間市民は飢えることなくできたことも含めて、それから5日後に県庁で前橋中の医師、歯科医師が集められて、衛生会議が開かれます。そのメモを市内の長崎先生がメモをしていて、そのときときのメモも展示します。上の方に前橋空襲の証言があり、これは戦後60年を記念して市の生活課で3人の方の証言DVDがあり、これを編集して聞いていただくことになります。上の北面については空襲直後の被災状況で市内の田村秀市さんの撮影した8月6日の写真、2か月後にGHQが撮った写真を展示して、空襲によってこんなにも街が焼かれてしまったということを伝えます。
次が復興のエリアで、空襲ばかりではなく、どうやって立ち上がったかを示すことも重要です。近年は戦争だけでなく、地震や風水害で各地域に被害があり、復興はとても重要なことなので、そのようなことをこのコーナーに展示します。まずは、時間軸を年表で見る戦後ということで、昭和20年から昭和39年としました。なぜ終わりが昭和39年かというと前橋市が作成した「戦災と復興」という本の中で昭和39年までを復興の期間としているからです。その年表の中にトピック的に画家小見辰男のスケッチ、美術教師登丸秀男の絵と文章、GHQが2か月後にたまたま来て前橋市内を撮った街並みなど、ちょうどこの時に前橋公園で松本幸四郎は前橋に疎開していて、前橋市民のために命を生き延び、大事な歌舞伎の装束も残ったということで、市民を元気づけようと復興歌舞伎をしています。それをGHQが撮ったので、そのような動画を昭和館から借りてきて常時展示をします。戦争というと、戦災孤児というのがNHKのドラマ等でも出てきますが、群馬県前橋市では富士見村出身の品川博先生が孤児を扱う施設を作りました。ちょうどその時にNHKで「鐘の鳴る丘」というドラマを放送していて、このドラマを自分たちの施設の運営の参考にしたいということで菊田一夫を訪ねたところ、これは空想で、むしろドラマのモデルとなるように前橋で頑張って欲しいということで「鐘の鳴る丘」という名前をいただきそれは大胡にあり、それをもろもろ展示します。それから、先ほど言った復興群馬県の歌や今は見る影もなくほとんど変わってしまいましたが、前橋の復興の象徴だった前橋駅前の広場や戦災復興記念塔等を再現したいです。上に行って、トピック的な展示で前橋市の復興は国による特別都市計画法による復興ですので、色々な地図や図面によってまた緑の前橋が帰ってきます。焼かれた後は住むということが非常に重要なことなので、住むことをテーマにして実は戦争保険、爆弾保険というものが昭和17年、国によって始まります。必ず空襲がくるから保険をかける、12円の保険を掛けると3,000円が払われて、これによって家が建てられ、実はそのようにして復興していました。前橋でもたくさんの人が前橋空襲前に加入して、群馬銀行、足利銀行からお金を払ってもらい、自力復興をしていました。宮澤喜一首相は当時25歳で大蔵省の事務官で、この保険の支払いをしていて本当に国庫が空になったと証言しています。前橋でもそのようなことがありました。戦災者の住宅、配給住宅、公営住宅を展示します。衛生では終戦は夏なので、ハエからの伝染病、ハエ取り合戦というようなもの、冬にはマスクを配り風邪をひかないような対応をしたことを展示します。上に行って、一応復興に区切りがついたということで前橋は復興市町村合併60年を記念してグランドフェアという大博覧会を昭和20年に開催します。そのレガシーが「るなぱあく」です。その時に作られていた前橋の地図などを展示して、このように前橋は復興したということを見せる形になります。最後のところに、慰霊で戦後80年経つので、慰霊というのも個人から公的機関に代わってきています。亡くなった方の名前を書くことなど、前橋空襲を風化させないという市民の方の答えになるのではということで、亡くなった方の名前を刻もうと思っています。そして、岩神に住んでいた野口米次郎が調査した鎮魂歌の歌詞をここに展示したいと思っています。この場を借りて報道機関の皆様にお願いですが、前橋では600人余りの方が亡くなって、長岡市では亡くなった方の写真を集めて展示をしています。市民の方が前橋市も写真を集めて展示したいと思い集めていますが、15人しか集まっていません。1番の原因は亡くなった方の遺族が把握できないことです。写真が集まらないので、市の広報で呼びかけましたが2人しか答えがありませんでした。亡くなった方の遺族は市の外に出ている可能性もあるので、ぜひ報道機関の皆さんに写真を探しているということを報道していただけるとありがたいです。開館した後も情報が集まれば、このようなコーナーを充実させていけるので、市民の作り上げる資料館にしていきたいと思っています。上のところは、犠牲女学生の慰霊碑文です。当時、平方実業女学校の女子生徒の4人が亡くなって、そのうちの1人が、現在川原湯温泉の丸木屋旅館を営む樋田家の長女です。樋田さんのところは、智恵子さんが亡くなったので、観音様も建立してそこに刻んだ台座の碑文を寄贈していただきました。これを、ここで展示をさせていただきます。それから、先ほど市長さんが言ったような、前橋空襲一斉慰霊を続けているので、映像で流して慰霊ということにします。慰霊のマップ、戦災マップ、戦災樹木これらを地図で展示して、関心のある方は市内を周っていただくというような導線にしました。最後に図書コーナーがあり、もう少し勉強したいという方は町田錦一郎さんからたくさんの図書を寄贈していただきましたので、これを町田文庫と名付けここに展示をしていただきます。ぐるっと周っていただくような形で資料館を考えました。以上です。
(市長)
資料館の整備にはもう少し時間がかかりますが、資料の一部については、市役所のロビーで7月から展示をするということになっているので、よろしくお願いいたします。
(2)「まえばし SOCIAL GOODS project」始動! ~共に支え合い、誰もが自分らしく輝く社会を目指します~
(市長)
本市では、すべての人が違いを認め合い、互いを尊重しながら、いきいきと暮らせるインクルーシブ社会の実現に向けて、今年度新たに「障害福祉インクルージョン推進事業」を実施しています。
その中で、今回は「まえばし SOCIAL GOODS project」をご紹介いたします。このプロジェクトは、『It's nothing special! ~特別でもなんでもない、当たり前にある人・モノ・コト~』をコンセプトに、市内の障害福祉サービス事業所が連携し、障害のある人たちが主体的にものづくりを行うプロジェクトです。今年度は、Tシャツとカレンダーを制作します。
このプロジェクトを通して、障害のある人たちのウェルビーイングや工賃の向上、そして障害者や障害福祉に関する理解啓発などを進めていきたいと考えています。詳しくは「まえばし SOCIAL GOODS project」のチラシをご覧ください。半年以上に渡るプロジェクトで、昨日の7月11日には絵を描くワークショップを開催しました。8月1日の作品選定会では、お集まりいただいた方にも選定に協力してもらいます。また、この日は音楽イベントなども同時開催の予定と聞いています。にご参加いただけたらと思っています。Tシャツは、選んだ絵を9月11日(水曜日)のシルクスクリーンワークショップを経て、9月23日(月曜日)に実施するインクルーシブスポーツフェスタでお披露目する定です。カレンダーにつきましては、11月上旬ごろの完成を予定しています。
ぜひ福祉と地域を巻き込んだ前橋の新しい取り組みにご期待ください。
本日は本プロジェクトの受託団体である「みんなの店運営委員会 SHOP CAFE Qu」店長の千木良さんにお越しいただいております。詳細については、千木良店長から説明をお願いします。
(千木良店長)
始めに少しだけ「SHOP CAFE Qu」の紹介をさせていただきます。道の駅まえばし赤城内にある雑貨とカフェのお店です。ほっと一息つける休憩所をコンセプトに市内の福祉サービス事業所の方々と共に運営しています。障害のある方々と一緒に店頭に立ち接客などの仕事をしていただいています。店名のQuは休憩のキューでして、こちらのTシャツ、rest well良く休んでねという意味です。このTシャツを皆で着て、お仕事をしています。昨年3月のオープン以来、おかげさまで多くの方々にご来客いただきまして、この場を借りて御礼申し上げます。小川市長にも、幾度となくご来店いただきまして、ありがとうございます。さて、今回の「まえばし SOCIAL GOODS project」ですが、事業の目的、内容は小川市長からご紹介いただいたとおりです。こちらは、6月に開催した施設庁向けの説明会、キックオフミーティングの様子です。市内の福祉事業者さん向けに今回の事業概要を説明させていただきました。そして、まさに昨日がこのプロジェクトの本格始動の日だったのですが、皆でTシャツやカレンダーの素材となる絵を描くワークショップを行いました。昨日のワークショップでは、市内の障害福祉サービス事業所を利用する方々62名にご参加いただきました。Tシャツのテーマは「まえばし」で、前橋のマークや、やきまんじゅう、赤城山など、みなさんが思いつく色々なものの本当に素敵な絵を描いていただきました。(映像が流れる)こんな感じに描いていただきました。この中から、Tシャツやカレンダーにする絵を8月1日(木曜日)に行います。昨日描いた作品と、事業所で描き足していただいたものを持ち寄っていただきまして、Quの店内に原画を展示いたします。それらを、一般のお客様に選んでいただく会になります。市長からもご紹介があったように、夏のイベントということで、DJイベントも同時に開催をしたいと思っています。こちらは、3月に行ったDJイベントの様子ですが、障害あるなしにかかわらず、音楽を楽しむという空間を作ってとても好評でした。お店の外に椅子やテーブルを出して、夏の夜を涼む音楽イベントということで開催したいと思いますので、ご参加をいただく方は、お持ちでしたらアウトドアで使うような椅子をお持ちいただけたらと思います。こうして、選定されたイラストや文字をデザイナーさんにデザインをしていただき、9月11日(水曜日)にシルクスクリーンのワークショップを行います。これは、参考資料ですがこんな形で利用者さんにも一緒にシルクスクリーンをすっていただき、体験をしていただき政策を進めたいと思っています。Tシャツは9月23日(月曜日)に道の駅まえばし赤城で開催されるインクルーシブスポーツフェスタで販売を開始する予定になっています。カレンダーは11月の販売を目標としています。今回作成するTシャツやカレンダーは障害のある方たちの創作活動や彼らの魅力を身近に感じていただけるプロダクトなのですが、なかなか各事業者さん単体で制作するというのは難しい現状があるので、今回のプロジェクトをきっかけに工賃向上に向けた動きが活発化していくことを期待しています。 SHOP CAFE Quでは今回のプロジェクトのように、障害のあるなしに関わらず、皆が共に参加できるイベントやプログラムを今後も企画していきたいと思っています。そうしたことで、少しでも障害のある方とない方の壁を取り払うようなイベントをして、ともに地域でこの前橋で非常に楽しく過ごしていけるような企画を考えていきたいと思います。本日は貴重なお時間をありがとうございました。
(市長)
8月1日(木曜日)、ぜひ皆さんも選定や、DJイベントに参加していただけたらと思います。よろしくお願いします。
(3)庁内協力制度「たすけあい+(ぷらす)」の実証実験を開始
(市長)
市役所では、今月から、職員が所属の枠組みを超えてお互いに協力し合う「たすけあい+(ぷらす)」の実証実験を行っています。
個々の職員が有する能力を相互に活用したり、学びやスキルアップの機会を提供し合ったりすることで、組織における働き方の柔軟性や業務の生産性を高め、住民サービスの向上に繋げることを目的としています。
私は就任以来、前橋市役所から明るく元気にしていきたいと申し上げてきました。この制度は、「明るく楽しい組織づくり」を具現化する取り組みで、有志の若手・中堅職員の有志で構成されるミライズWG(ワーキンググループ)が推進しています。詳しい内容は、ミライズWGメンバーの、渡根木さん、片貝さんからご説明いたします。
(ミライズWGメンバー)
ミライズワーキングとは、若手・中堅職員よる組織横断型のWGです。市役所全体のチームワーク向上を目的に異なる所属の職員が集まり、組織風土の変革や縦割り行政の打破といった、新しい時代に合わせた働き方や、価値観の情勢に取り組むことで市民サービスの向上や、職員のスキル向上をはかることを目指しています。令和3年度から実施しているこのWGでは、毎年様々な取り組みを行っていますが、令和5年度からはこの「たすけあい+(ぷらす)」という制度を設立し、現在、実証実験を行っています。将来的に少数の職員で市民サービスを向上するためには、限りある人材を有効活用する仕組みが必要です。所属を超えて職員が協力しあうことで、職員個人のスキルアップや自己実現も達成でき、多様で柔軟な働き方を推進できます。また、この取り組みにより、この助け合う空気が情勢されたり、業務の平準化が推進されたりすることで、組織における働き方の柔軟性や、業務の生産性が高まり、市民サービスの質の向上につながると考えました。
続いて制度概要について説明します。庁内協力制度「たすけあい+(ぷらす)」は各所属において、能力や人的資源を必要とする業務が生じた際に所属を超えて協力する制度です。まず、新たな価値を生みたい、助けてほしいという依頼所属がアプリに依頼を投稿します。人の役に立ちたい、自分のスキルを活かしたいという応募者はアプリの依頼一覧から、自分のスキル、興味関心に合致した依頼に応募します。写真コンテスト展示準備事業を例に具体的な制度活用イメージについて説明します。こちらは昨年度実際に制度を利用して依頼応募があった案件です。写真コンテストを実施するにあたり、集まった写真の展示準備をしたい所属がありましたが、この所属は展示に関するアイデアや装飾作業を行う人手が不足していました。そこで、依頼所属が本制度を利用し、展示方法のアイデアを考えてくれる人、展示に必要な材料を集めたり、飾りつけの準備を手伝ってくれたりする人を募集しました。この依頼を見て、自分の経験やスキルを活用したいという職員、写真コンテストに興味がある職員が応募することで、依頼所属と応募者、それぞれのニーズをマッチングするという仕組みが本制度の概要です。この案件では、実際に2名からの応募があり、写真コンテストの展示準備に従事しました。
続いて「たすけあい+(ぷらす)」のアプリについて説明します。本制度は市役所職員を対象にアンケートを実施し、どのような制度であるべきか、どのような機能が必要か、集まった声を参考にしながらミライズワーキングのメンバーが制度設計し、アプリはMicrosoft365のパワーアップスを使用して、1から制作しました。アプリは先述の依頼、応募機能の他に、他所属の助けになりたい人が自らの意思、または、他者の推薦により、人材登録できる機能を有しています。7月12日(金曜日)正午時点で、職員54人の登録があり、様々な条件によって登録されている人材を絞り込むことが可能です。こちらは、たすけあい+(ぷらす)」人材の詳細画面です。氏名、所属、職種の他、得意分野や特技等、自分の能力を登録することができます。過去に参加した依頼の回数、内容や、移動職歴等も入力することも可能です。登録内容を他所属が閲覧できるため、業務に適した職員に依頼を行うことや、依頼を発出する前に、あらかじめ適切な人材にアドバイスを求める際に活用できます。以上が「たすけあい+(ぷらす)」制度の説明となります。
2 質疑応答
(1)(仮称)前橋空襲と復興資料館の開館に向けたプレ事業を開催します
(記者)
この資料館は学芸員の方は常駐しますか。
(市長)
常駐する予定はございません。
(記者)
それはなぜですか。
(市長)
失礼しました。まだ決まっていないとのことです。
(記者)
空襲予告ビラの複製というのは、ビラそのものが残っていて、それをコピーしたものなのか、それとも内容を聞き取ったものから複製したものなのか、どちらでしょうか。
(文化国際課)
今回、展示する複製ビラに関しては県立歴史博物館に展示されているものを複製させていただくということになっています。
(記者)
家族会議メモというのも同様ですか。
(文化国際課)
先ほど、手島委員長からもお話がありましたが、元総社町の小野澤さんからご寄付をいただいた資料を同様に複製して展示を行う予定です。
(記者)
前橋空襲の亡くなった方一覧で現在氏名がわかっているのは何人くらいですか。
(文化国際課)
約520名です。遺影が入手できたのは現時点で13枚です。
(記者)
防空監視哨というのはどこにあったものですか。
(文化国際課)
旧南橘村の下小出です。
(記者)
このプレ事業での総展示数は何点くらいになりますか。
(文化国際課)
実物資料は2点になりますが、その他は映像やパネルで展示を行う予定です。
(記者)
これはロビーで閉庁日も見られますか。
(文化国際課)
開庁日のみになります。
(記者)
資料館の基本的な面積や総展示数などのスペックは公表されていますか。
(文化国際課)
まだ公開はしていませんが、この場でお伝えいたしますと、面積の方は展示スペースが175平方メートル、展示総数は実物資料数で言いますと100点以上、映像、パネル展示になります。
(記者)
手島さんからの説明で、広報で呼びかけたが2点しか集まらなかったという部分で、そもそも戦災資料の管理は市になりますか。社会福祉協議会になりますか。
(文化国際課)
それはあたご資料館からの資料も含めた管理ということですか。
(記者)
そうです。
(文化国際課)
亡くなられた方の名簿については、社会福祉協議会です。
(手島委員長)
8月5日に前橋空襲で亡くなった人を火葬で処理する場合に、市の職員や家族が立ち会って、この人と確定して火葬します。確定されたのが、当時貸金といってお金が出ました。お金をもらった方は約500名で、その方の名前がわかっているだけです。まったく引き取り手もなく、亡くなったという方たちもいるということです。約500名の名前はわかっていて、今回写真を集めたいので、社会福祉協議会に訪ねましたがありませんでした。
(記者)
例えば、愛知県名古屋市が今年制定した「名古屋平和の日」のように、前橋空襲の「前橋平和記念の日」を制定する動きはあるのでしょうか。
(手島委員長)
提言書にも8月5日は「前橋平和記念の日」と制定して欲しいということで、ずっと積み上げてきています。今回、名古屋市は63回空爆を受けている中で、天守閣が焼かれた日を「名古屋平和の日」にしようという高校生等からの声を受けて、今年戦後79年ということもあり「名古屋平和の日」が制定されました。私もそのように戦後79年をそのように迎えたいとは思っています。
(文化国際課)
「平和の日」の制定については、所管する課が市民部となりますので、来年戦後80周年に向けて庁内で協議していきたいと思います。
(記者)
プロセスとしては庁内で必要かどうかを判断して、議案を出して決まっていくということですか。
(文化国際課)
所管する市民部に確認しないといけませんが、まだこれからです。まずは、平和資料館の整備を進めて行きたいです。
(記者)
資料館のお名前が仮称になっていますが、仮称が取れる日はいつなのか、またはこれから名前の決め方を定めるのかどうか教えてください。
(文化国際課)
名前や運営体制はこれから決めていきますが、例えば設置条例を作るということになれば、そこで名前が決定していくことになると思います。これから協議をしていきますので、今のところは仮称で進めさせていただきます。
(記者)
市民の皆様からのアイデアを募るというお考えは今のところないでしょうか。
(文化国際課)
復興資料館の検討委員会の中では、この名前でと進めているところですが、市民からの公募については今のところ考えていません。
(2)「まえばしSOCIAL GOODS project」始動! ~共に支え合い、誰もが自分らしく輝く社会を目指します~
(記者)
販売するTシャツとカレンダーの予定総数と価格をそれぞれ教えてください。
(千木良店長)
追加も想定には入れてありますが、最初は100枚としています。販売価格は2,800円です。カレンダーについては500部、800円で販売の予定をしています。
(3)庁内協力制度「たすけあい+(ぷらす)」の実証実験を開始
(記者)
参加することで職員の方にどのようなメリットがあるのか具体的に教えてください。
(ミライズWGメンバー)
参加する職員にとって、どのようなメリットがあるのかというと、参加する職員個人がもともと持っているような能力を生かすことができるという点です。また、他所属の職員と交流することによって新たに生まれるつながりもメリットだと考えています。
(記者)
行った先での仕事の評価は誰かが行うのでしょうか。また、行った先での労働時間はカウントするのでしょうか。
(ミライズWGメンバー)
行った先での労働の評価については、まだ市役所内での人事評価にどう反映させるのか人事部門との調整が行われていないので、あくまで現在は実証実験という形で特に評価に反映させるのではなく、やりたいと手を挙げた人が協力しに行くという形です。
労働時間については、要綱の中で週の所定の労働時間の10パーセント程度までということで定めています。1週間で言うと、3~4時間、半日程度、それ以上になってくると通常の本来業務にも支障が出てくるだろうということで、一応週の所定の労働時間の10パーセント以内くらいの業務の依頼を出すようにお願いしています。
その他
(記者)
同性カップルの住民票の続柄の欄に夫(見届け)、妻(見届け)というような記載をできるような運用を始めた市町村がいくつかありますが、前橋市でこの記載をするという運用を考えているのか、小川市長のお考えを教えてください。
(市長)
春から記載の運用を独自に行っている自治体がいくつか出てきているということは認識しています。ただ、やはり国の運用に反してはいけないと思っているので、国がどのような意見を出すかを注目していたところですが、少し難しいと思うところもあり、大村市のようにやったけれどもおかしいと言われても困りますので、少し整理をして今後の状況も見ていきたいと思っています。
最後に
(市長)
先ほどの平和の日の関係については再度、制定の必要性について市民の方の意見を聞きながら、戦後80年に向けてどうしていったらいいかを検討していきたいと思います。
最後に、この会見後に消防局で群馬大学共同教育学部の学生に対する消防協力者表彰を行う予定になっています。今年の5月に発生した救急事案について人命救助を行っていただいた学生について表彰を行うのですが、今回表彰される学生は、クラブ活動中に仲間の異変に気付き、それぞれが役割分担をした上で、119番通報をする人、AEDの操作をする人、心臓マッサージをする人、皆で協力をして的確な行動で仲間の一命を取り留めたということで社会復帰に大きく貢献をしていただきました。
救命の第一走者である教員を志す若い学生たちの勇気ある行動は、手本になる素晴らしいものだと思っています。既に情報提供を行っていますが、このあと16時から群馬大学荒巻キャンパスで表彰式を行いますので、お時間があればぜひそちらにも取材に行っていただけたら学生たちの励みにもなると思うので、ぜひよろしくお願いします。以上です。ありがとうございました。
(以上で終了)
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更新日:2023年05月01日