詩人の紹介「朔太郎の作品」1

詩人の紹介「朔太郎の作品」について掲載しています。

新前橋駅詩碑

新前橋駅

野に新しき停車場は建てられたり
便所の扉(とびら)風にふかれ
ペンキの匂ひ草いきれの中に強しや。
烈烈たる日かな
われこの停車場に来りて口の渇きにたへず
いづこに氷を喰(は)まむとして売る店を見ず
ばうばうたる麦の遠きに連なりながれたり。
いかなればわれの望めるものはあらざるか
憂愁の暦は酢え
心はげしき苦痛にたへずして旅に出でんとす。
ああこの古びたる鞄をさげてよろめけども
われは瘠犬のごとくして憫れむ人もあらじや。
いま日は構外の野景に高く
農夫らの鋤に蒲公英の茎は刈られ倒されたり。
われひとり寂しき歩廊(ほうむ)の上に立てば
ああはるかなる所よりして
かの海のごとく轟ろき 感情の軋(きし)りつつ来るを知れり。

「純情小曲集」(1925年刊)「郷土望景詩」より
1987年11月
前橋ライオンズクラブ結成25周年を記念して設置

郷土望景詩の後に

新前橋駅

朝、東京を出でて渋川に行く人は、昼の十二時頃、新前橋の駅を過ぐべし。
畠の中に建ちて、そのシグナルも風に吹かれ、荒寥たる田舎の小駅なり。

前橋子ども公園 文学の小道

利根の松原

日曜日の昼
わが愉快なる諧謔(かいぎゃく)は草にあふれたり。
芽はまだ萌えざれども
少年の情緒は赤く木の間を焚(や)き
友等みな異性のあたたかき腕をおもへるなり。
ああこの追憶の古き林にきて
ひとり蒼天の高きに眺め入らんとす
いづこぞ憂愁ににたるものきて
ひそかにわれの背中を触れゆく日かな。
いま風景は秋晩くすでに枯れたり
われは焼石を口にあてて
しきりにこの熱する 唾(つばき)のごときものをのまんとす。

「純情小曲集」(1925年刊)「郷土望景詩」より
1975年11月設置

郷土望景詩の後に

小出松林

小出の林は前橋の北部、赤城山の遠き麓にあり。我れ少年の時より、学校を厭ひて林を好み、常に一人行きて瞑想に耽りたる所なりしが、今その林皆伐られ、楢、樫、ぶなの類、むざんに白日の下に倒されたり。新しき道路ここに敷かれ、直として利根川の岸に通ずる如きも、我れその遠き行方を知らず。

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更新日:2019年02月01日