地域再発見 妙安寺の梵鐘(千代田町三丁目)

(注意)このページは、前橋市が各地区に設置している地域担当専門員が、地域の行事に参加をした内容をまとめ、作成したものです。
なお、地域担当専門員は、地域の主体的な活動を支援する役割を果たし、また、地域と行政のパイプ役を果たす事を目的に設置されています。

親鸞聖人ゆかりの「御里御坊妙安寺」

 妙安寺は、親鸞聖人の高弟24人の6番目、成然(じょうねん)によって下総国猿島(現在の茨城県西部)に創建されました。
 その後、酒井重忠の招請により川越へ移り、さらに1601年(慶長6年)、重忠が厩橋藩主として厩橋城に入ったのに伴い前橋に移って来ています。
 その直後の1602年(慶長7年)、徳川家康が東本願寺を創建させ、妙安寺にあった親鸞聖人自作の木像が懇望され、翌慶長8年正月に京都へ移されています。
 これが縁となり、妙安寺は家康から「葵紋免許」を得て、数多くの書画、什物も贈られています。また、親鸞聖人寿像の「御里御坊」と呼ばれるようになり、本山である東本願寺からも特別の格式を与えられました。
 このように、浄土真宗(真宗大谷派)の名刹である妙安寺には、「絹本著色親鸞聖人像」などの群馬県指定重要文化財13件、「一谷山記録」などの前橋市指定重要文化財11件、「後陽成天皇宸翰(しんかん)古歌御色紙」など3幅の旧国認定重要美術品等が寺宝として伝えられていますが、その多くが群馬県立歴史博物館に保管されており、現地で目にすることのできるのは、今回紹介する「梵鐘」だけとなっています。

 梵鐘は、高さが88センチメートルと小振りで、形もほっそりとしていて、上の「乳ノ間」には、4段4列の乳を各区に配し、1番下の「下帯」に唐草文を描いただけの簡素な装飾となっています。
 乳ノ間の下の「池ノ間」に「大工想(総)社住人藤原吉久、伊清」と作者の銘があり、同じ間に「上野国群馬郡厩橋一谷山最頂院妙安寺常什物也」と刻まれていますが、その様式から、15世紀頃に鋳造されたものと考えられていて、妙安寺が前橋(厩橋)に移転してきた時には鐘はなかったと「一谷山記録」にあることからも、「妙安寺常什物也」の銘は後で刻まれたものとされています。

 ただし、約600年前に作られたこの鐘がどのような経緯で妙安寺に納められたかは、残念ながら明らかではありません。

妙安寺の梵鐘

昭和30年1月14日 群馬県指定重要文化財
身高88センチメートル、竜頭16.2センチメートル、口径55センチメートル

 

梵鐘全景の写真

梵鐘の全体(ほっそりとした形をしています)

梵鐘と鐘楼全体の写真

梵鐘と鐘楼全景(2年前に屋根を修理しています)

銘文アップの写真

妙安寺の什物である事と作者銘が刻まれています

本堂と鐘楼の写真

本堂(右側)と鐘楼(左側)全景

入り口の写真

右側に「御真影御里御坊」の石柱があります

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更新日:2021年01月22日