地域再発見 初代前橋市長下村善太郎の銅像(大手町二丁目)

(注意)このページは、前橋市が各地区に設置している地域担当専門員が、地域の行事に参加をした内容をまとめ、作成したものです。
なお、地域担当専門員は、地域の主体的な活動を支援する役割を果たし、また、地域と行政のパイプ役を果たす事を目的に設置されています。

近代前橋を築いた功労者 下村善太郎

 前橋市役所駐車場の北側、県庁前通りに面した曲輪緑地に「初代前橋市長下村善太郎」の銅像があります。

 下村善太郎は、1827年(文政10年)に今の前橋市本町の商家に生まれ、一時事業に失敗し、八王子に移り住んでいましたが、1859年(安政6年)の横浜開港などを契機に生糸取引で大成功を収めます。
 1863年(文久3年)に前橋へ戻った善太郎は、生糸商人らの先頭に立って自らの財産を惜しみなく郷土前橋のために使いました。
 特に、1876年(明治9年)の第2次群馬県の成立に伴う県庁誘致の際、楫取県令の要請に応え前橋の有力者達をまとめ、多額の寄付金を集め、自らも1万円を拠出した話はよく知られています。(この時の県庁職員の官舎建設に係る寄付金総額は2万6千5百円でした)
 その他にも、桃井小学校や師範学校の設立、前橋公園の設置、臨江閣の建設などで私財を投じて前橋の発展に力を尽くしています。
 こうした貢献により、1892年(明治25年)の市制施行に伴い、推されて初代市長に就任しますが、翌年病を得て帰らぬ人となります。
 善太郎が亡くなると市葬が営まれ、本町の自宅から紅雲町の龍海院まで葬列が続き、沿道は、見送りの市民で埋め尽くされたということです。

 この銅像は、1983年(昭和58年)9月に除幕式が行われていますが、この年は善太郎没後90年にあたり、また、「あかぎ国体」が開催された前橋市にとって意義のある年であったため、「初代前橋市長下村善太郎翁銅像再建推進委員会」が市民に募金を呼びかけて完成させたものです。
 「再建」とありますが、実はこの銅像は2代目で、初代の銅像は、1910年(明治43年)前橋公園に建てられていました。
 太平洋戦争の最中に供出されて、銅像は残っていませんが、今でも前橋公園には「故下村翁銅像建設発起人名」の碑が建っています。

 なお、銅像再建の前年に「前橋市名誉市民条例」が制定され、下村善太郎は、名誉市民第一号となっています。また、龍海院にある「下村善太郎の墓」は、1974年(昭和49年)に前橋市の史跡に指定されています。

全体の写真

下村翁の目に今の前橋はどう映っているのでしょうか

顔部分の写真

銅像は彫刻家分部順治の制作です

全景の写真

後ろに市役所庁舎と議会棟が見えます

発起人名の写真

「故下村翁銅像建設発起人名」の石碑

墓の写真

龍海院にある「下村善太郎の墓」

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更新日:2021年01月22日