前橋空襲と復興資料館検討委員会令和4年度第3回会議

審議会名

前橋空襲と復興資料館検討委員会

会議名

前橋空襲と復興資料館検討委員会令和4年度第3回会議

日時

令和4年8月31日(水曜日) 午後3時00分~4時30分

場所

市庁舎3階31会議室

出席者

委 員:手島委員長、岩根委員、吉良委員、新井委員(文化スポーツ観光部長)

事務局:田中文化国際課長(事務局長)、原田生活課長、小田副参事(生活課)、大友副参事(文化国際課)、大島主任(文化国際課)

傍聴者:1名

報 道:群馬テレビ、朝日新聞、上毛新聞

その他:前橋商業高校(教諭:後藤彩、生徒:飯島千桜、橋本結、村上明歩、山田那柚)

欠席者

なし

議題

・8月25~26日実施先進地視察(姫路市、岡山市、高松市)の振り返り

・前橋商業高校生徒との意見交換

 

会議の内容

1 開 会

2 挨 拶

手島委員長が会議の開催にあたり挨拶した。

3 議 事

(1)先進地視察の振り返り

【手島委員長から会議の流れについて説明】

 

【事務局から視察映像放映と説明】

 

【吉良委員から視察報告】

吉良委員

3ヶ所行くのにあたって、今回一番期待していたのは高松であった。小学校3年から大学生の時代まで住んでいた。私は高松出身ではないが、父の仕事の関係で。高松という都市が日本の近現代史の難しいテーマをどのように扱うか、最も期待し、不安であった。なぜなら、私のレポートは、読んでいただければ分かるので、それよりもバックグラウンドに何があったのか、ということを話している。なぜ高松に興味、とても関心が高かったというと、古い先生方はご存知かと思うが、学力テストで日本一を取り続けた。瀬戸内海は発達した工業地帯はない、何で食べていたかというと米と天然の塩である。その時代何に期待していたとのは、子どもたちで、学力テストは日本一であった。私は小学校、中学校を育った。空襲ということを含めて歴史展示がどう出来るのか。姫路と岡山はそれなりに色々な問題を抱えながら、最後に高松に行って良かったなと思った。なぜかというと私は元博物館的な施設である横浜開港資料館に勤めていたことがある。展示を散々していた。資料収集もしていた。分析もしていた。本を作るということも経験した。逆に言えばこういう施設はどのように苦労してテーマに迫るのか。そしてそれをどう表現して、市民の皆さんや若い人たちに見せるのか、そのことがとっても興味があった。市の方々とは違う目で見たつもりであった。その点を大雑把にいうと、姫路、岡山、高松を見たかぎりでは、それなりに一長一短がある。一長一短はそれぞれの行政体の文化に対する姿勢だとか、文化行政をどのようにするのか。そういう姿勢につながる。だから、3市を普通の市民として見た。その時に、長短つけ難い。なぜかというとたった一つ理由がある。学芸員といわれる方が展示をしているが、私も学芸員をしていた経験があるので分かるが、その人たちが様々な環境の中でいい都市もあるし、悪い都市もある。文化的な行政として足りない、いやここは十分に頑張っているなとか。そういうものの背景を見ながら学芸員が苦労している。この展示を皆さんざっとご覧になって単に平面的に展示がどうだったのか、という事を見るだけでなく、私はバックヤードが気になった。バックヤードと言うのはそこでこういう展示を作る人達。この人達の状況がどのようになっているか。一番興味がある。展示自体は沢山色々見ている、しかも近現代史が自分の勉強の対象なので、そうそう驚くことはない。アメリカから資料をいれたり、地域の資料を掘り起こしたり、してやってきている。その点ですごくショックを受ける研究はあまりない。一番大事なのは、どのように空襲に向かい合うか。その姿勢について一番興味がある。色々見せていただいてどこが良い悪いかは、全く私は考えない。特に問題があるかということは考えるが、比較をしても、もう仕方がない話。それぞれのバックグラウンドがあるから。だが、何が一番この展示を作って訴えて、私たちを揺り動かすのか。そういう姿勢でしか見に行く人はできない。だから、この3つを比較しても、学芸員として仕事をしていたこともあるので、優劣つけ難い。それぞれの学芸員の人達が苦労して自分達の視点を明確にし、市民にアピールするか。その努力を見たい。そのことに一番興味がある。私のような立場の人間にしてもやはり一番衝撃的なのは映像で、ほとんどアメリカで手に入れている映像が多いのだが、実際に空襲という現実を目の前にして、空襲の下で、当時の爆弾の下で火傷をし、窒息し、親子が離れ、悲惨な目にあい、これはベトナム戦争もそう。戦争というのはすべてこのような事が起きるのだという意味では日本だけが特異な例ではない。今どこかで起きていることもそうだ。そのように歴史を見た時にこのような歴史を研究することは、実は自分の心を、物を見る目を養う。そういう意味で歴史展示はやはり必要だ。

 

【新井委員から視察報告】

新井委員

私は市の職員であるので、運営全体としての館の運営観点について話したい。

まず姫路について。正規職員1名、OBの方が3名、学芸員は配置されていない。姫路市平和資料館の印象は、先ほど動画にもあったが、戦没者追悼塔とあわせて、資料館が一体となって運営をしている印象を受けた。いい取組だと思う。施設は若干老朽化しているが、平和資料館専用施設であり面積も広い。一方、専用施設であることから、メンテナンスを含め運用のコストがかさんでいる印象。お話しを伺った人にしても色々故障したりして、直すコストが課題になっている。専用の施設であることによって床が振動したりする体験型の施設などは、専用施設ならではのメリットと思われる。

次に岡山空襲展示室については、シティミュージアム、駅前の再開発ビルの5階であった。ここはシティミュージアムという施設の一角にあり、先ほどの姫路のように専用の施設ではない。運営の関係とすると、正規職員1名と学芸員の方が3名いらっしゃる。これが運営面で特徴的なところであった。学芸員が配置されていることから、図録など資料類が充実している印象であった。再開発のビルという事で、施設自体も非常に新しく、展示も非常に綺麗に展示をされていた。姫路と比較して展示スペースは小規模だが、展示はコンパクトでよくまとまっている。動画の中にもあったが、シティミュージアム内にあるため、収蔵庫、学芸員の作業スペース、画像を撮るためのスタジオが美術館とシティミュージアムが共用になっているので、非常に充実したバックヤードの施設がある。駅から歩いて至近にあるので、わざわざ平和展示を見るというよりも、フラッと立ち寄れるような位置にある、というのは岡山にとってメリットがあると思う。

最後に高松について。これも、たかまつミライエという中の複合施設の一角にある。職員の方は正規の方が1名、嘱託の事務の方が1名、学習担当として中学校長OBが2名。学習担当の方は、教職員のための平和教育講演会、小学生、中学生向けの平和学習を担当して、実施をしていらっしゃる。高松平和記念館についても最近作られた施設のようで、展示も新しい印象であった。学芸員は配置されていないが、学習担当が2名いて、2名の方による講演会や平和学習といったソフト事業が充実している感じを受けた。ミライエ全体がもともと子ども向け施設であり、子どもの絵本などが充実した図書館とか、プラネタリウムとか子ども向けの施設が入っている。特に子どもをターゲットとした事業が充実している。学習担当による平和学習は好評で、高松市内のみならず、市外から訪問する学校もあるとのこと。子どもたちが平和の大事さを認識する目的としては非常に良い取組と感じる。一方で平和学習が好評だという大きな部分は中学校長OBの能力に負う部分が大きく、ノウハウの継承が課題とのこと。

3つの施設を見させていただいて、全体の印象という事は、いずれの施設も市の職員は1名を配置している。それ以外の方々は嘱託や、学芸員や会計年度任用職員が担っているように感じられた。市職員は定期的に異動があるため、ずっとその施設にいられるわけではないので、そういった嘱託員や学芸員方が中核を担っているように思う。施設の性格として、岡山の施設は学芸員の方がいらっしゃって、かなり資料の収集、空襲の体験者のヒアリングなども、ずっと定期的にしている。かなり学術的な部分の機能が充実をしている印象を受けた。姫路、高松はどちらかというと平和教育・学習を主とする印象のように感じた。当然3つの施設とも両方の性格を有しているが、どちらに軸足があるのかと考えたところ岡山は、博物館的印象、姫路と高松は、平和を教えていく、認識をしてもらうところに力を入れていく印象を受けた。個人的にはこの様な印象を受けた。この辺は本市の施設に今後考えていく上で、この3つの施設は参考に、今後検討が出来ればと思っている。

【手島委員長から視察報告】

手島委員長

姫路の場合は、空襲に視点を置いた資料館といった印象を受けた。6月22日、7月3日と大規模な2回の空襲を姫路空襲と定義している。いただいた資料の中で、姫路市平和資料館条例、同施行規則が大変参考になる資料だと思う。川西航空の工場があったことから、そこで製造された爆撃機「紫電改」を展示の中心テーマの一つとし、更に米軍爆撃機B29などとともに、爆撃機の模型などを展示している。かつて、私が群馬県立歴史博物館で学芸員をしていた頃は、これらのものを飾ると戦争を肯定するものと見られる傾向にあり、展示できなかった。死者数など合併以後のものなどは含めない形で展示している。ジオラマ展示がメインとなるが、先ほど吉良先生や新井委員もおしゃっていたように、非常に分かり易いのだが、経費と故障の問題を抱えている。学校コーナーを特設することにより、現代と比較し小学生の関心のきっかけとしている。企画展示は学芸員がいないので業者委託している。戦災復興記念塔には、前橋・高崎・伊勢崎の3市が協力し、お金を出し、資料を提供している。8月5日の前橋、高崎への空襲を展示する時どのように扱うか。塔建設に対して前橋市から回答した行政文書が残っているはずで、そうした行政文書の展示が必要なのではないか。

岡山の場合は、展示に、姫路・高松がアメリカ側の資料をほとんど使っていないのに対して、使っている点が特徴である。特にそれも先ほど視察映像放映で説明があったように、全国空襲研究者の工藤洋三氏から入手して展示をしている。新井委員からもあったように、「1945年6月29日岡山空襲の記録」(2種類)「市内に残る戦災の遺跡―ガイドマップ」とパンフレットが素晴らしいので、このパンフレット類は私どもが開設した時に参考になる。更に多言語対応のチラシが用意されている。今後博物館等を作る時にどこの人達を主対象にするか、ということがあるが、岡山は中学生を主対象にしている。先ほど新井委員がおしゃっていたように2005年から聞き取り調査活動を行っている、それが特色である。見学する時間的余裕がなかったが、岡山の護国神社には、出征者の視点で戦争展示の資料館もあり、岡山市で多面的に戦争について考えることができるようになっている。前橋は全くそういうのはないので、平和展示室を作るが、詰めすぎても仕様がないが、そういった問題はあると思った。

高松の場合は、先ほどの映像にあったように、展示は「企画展示」・「映像検索」・「戦前・戦時下の高松」・「高松空襲(昭和20年7月4日)」・「高松空襲6人の証言」・「高松市のジオラマ」・「終戦・戦後の高松」「平和への取組み・核兵器廃絶」のコーナー。ほかに事務室・倉庫・収蔵庫・図書レファレンス・映像学習室があり、非常に充実している。小学校4年生を対象に平和教育をしている。更に学校の先生方を対象にした平和教育講演会を実施していて、平和教育学習に非常に力を入れている。資料の収集については、ストーリー性の無い物は受け入れない。その点ではかなり厳しく制限されている。高松が、総体的に最も参考になる資料館であると思う。面積的に考え、前橋市は高松を例にすると「映像検索コーナー」「高松空襲」「高松市ジオラマ」「終戦・戦後の高松」「事務室」「収蔵庫」「図書室」「資料展示室」のような構成で出来るのではないか。「図書室」でマチダコレクションやあたご資料館の蔵書類を並べ、「資料展示」であたご、マチダ資料や今後市民から寄贈の資料を展示。姫路市でも助言をもらったが、小学校の授業に組み込むために、教育委員会担当部署や現場の先生との意見交換が必要。一連の学習会が終わったら、一回そういった場を設けていただきたい。ジオラマなどを駆使したいが、戦争を知らない世代にとっては映像等が一番いいのだが、姫路市でも助言をもらったが、大手業者に依頼しなければならない。費用は掛かり、尚且つ、しばしば故障する。この様な点をどうクリアしていくか。3市とも時間的余裕がなく戦争遺跡を回れなかった。今後1市でもよいから、街歩きをしたい。

3館共に運営維持には、マンパワーが必要であると助言してもらった。前橋市では、幸い市民学芸員が300人ほどおり、その点は大丈夫なのでは。3市とも空襲の日を定めている。前橋も8月5日を「前橋空襲の日」と定めることが必要ではないか。空襲に関する研究は近年、進捗している。最近でも『ボマーマフィアと東京大空襲』という本がアメリカで出版され、日本への空襲は1945年1月から指揮官が変わり、精密爆撃から無差別爆撃へ変わった。開館時点でどれだけ、最新の成果を収められるかが大切。尚且つ開館した後に絶えず研究成果があれば、リニューアルするという展示の仕方も工夫して市民がつくりあげる資料館にしなければならない。どこから展示するか、というのは、非常に悩みだが、私はやはり前橋空襲・復興に絞って多角的な観点から紹介し、そこから戦争を考えるようにしたい。8月5日に焦点を当て、空襲前、空襲、空襲後―行政や人々がどのような動きをしたか、行政文書や証言から多角的に描いて、戦争という極限状況の中で、どのように行動すると、被害が最小限にできるのか、という展示を試みたい。復興はどのような市民合意、援助体制のなかでできたのかを示すとともに、復興のあり方を各都市と比較したい。復興は様々な意見があるが、どのような市民合意、援助体制のなかでできたのかを、復興のあり方を各都市と比較して展示すべき。それを思ったのは、今度の視察で姫路駅前に立った時に目の前に大通りがあって姫路城が見えた。これはすごいと思い、資料館に行って聞くと、実は姫路市は復興にあたり、市長が反対派を説得し駅前から城までの大通りを開設。当時は非常に反対されたが、現在でも高く評価される都市計画となった。豊橋市も、民衆駅をつくる、路面電車を残すため、区画整理で道路を広げ、車と路面電車が共存できる街にした。駅前も街なかも、にぎやかなのは、戦後復興ができた所はそうだし、前橋はそうではなかったので今の衰退があるのではないかと思った。そういった視点でも復興というのは、ただ復興ができた万歳ではなく、今日に至ったことも含めてみんなで考える、これからの街づくりも含めて考えるようなかたちにしなければならないと思う。

【岩根委員から感想】

岩根委員

今日、映像も含めて3人の先生方の視察報告を見せていただいて、3つの施設みんなそれぞれ素晴らしい。3箇所の良い所を集めれば、前橋がトップになるのではないか。それくらいそれぞれよく工夫されている。視察映像も上手に映っている。特に施設面とか、展示の内容とか。ともかく高松は小学4年生を対象に平和教育をしている。教職員のための平和教育講演会を実施している。これからを担う若い人達にこういう空襲、戦争などを理解してもらって、この観点も、ひとつ前橋もしっかり持ったほうが良いだろうと思う。今日も前橋商業の生徒さんがお見えになっていて非常に心強いと思う。その点でぜひ前橋でも教育委員会にも参加していただいて、直接に小学生や、中学生にどのように平和教育するか、その辺に寄与できるような資料館が相応しいと思った。大学で学生に話してみると、9割ほど群馬県民だが、ほとんど前橋空襲を知らない。またなぜこれほどの被害を受ける空襲に至ったのか。歴史的背景が同時に示される必要があるのか。すると戦争の持っている実像、特に前橋空襲8月5日、広島の原爆の前の日で、ちょうどポツダム宣言が7月26日に出て、時の政府が黙殺した。その後に40~50件の空襲が行われている。そういう視点からも被害とだけ捉えてよいのか。多大な被害であったことは間違いないが、どういう戦争の経過の中で起きたか。その辺をどのように資料館で上手く展示できるのか。また先生方や子供たちと学習会や研修会をやる際に示していけるのか。どうしても戦争の話をすると、被害としての戦争体験や戦争認識だけが強く持たされている。でも戦争の実像を捉えた時に加害の側面抜きには語れない。その辺の戦争の実像をどのように伝えていったらよいのか、その辺が私自身も課題になっている。なんでもかんでも資料館に期待するというわけにもいかないが、そういう視点も持ちながら、組み立てていけばよろしいかと思う。3つの資料館を選択されたのは非常に賢明だったし、それぞれ素晴らしい内容だったので非常によい先進地視察が行われたのではないかと思う。参加できず、大変に残念でした。

 

【手島委員長による総括】

手島委員長

皆さんのご意見で、映像の展示は中心になってくる。教育委員会と連携して、平和教育をする。前橋は開館までに2年あるので、今回から教育委員会と連携すれば、開館時に上手く連携できるので、事務局は、ぜひこの検討会の流れの中で一度場を設けてほしい。実際に先進地視察に行って、開設に向けてイメージができたと思うので、これをもう少し整理して勉強会、今日これから高校生の皆さんとの話もあり、更に積み上げていきたいと思う。

 

(2)高校生との意見交換

【手島委員長の進行により高校生と意見交換】

村上さん

私は前橋市に住んでいないが、課題研究という授業の中で前橋空襲の事を初めて聞いて、そこで前橋に空襲があったことを知って、他にも知らない若者は多いのではないかと思い、今回課題研究として取り上げようと思った。

 

手島委員長

空襲についておじいちゃんや、おばあちゃんに聞いたことがあるか。

 

村上さん

おじいちゃんや、おばあちゃんはいないので、聞いたことはない。

 

飯島さん

課題研究の授業の中で前橋空襲について取り上げさせていただいている。私の場合は自分が前橋市に住んでいるということもあり、曾祖母が前橋空襲について知っていて、小さい頃からその存在自体は知っていたが、自分の周りなど地域の人達、地域の子供達は自分達の住んでいる市に被害があったのを知らない人も結構いて、今までの小学生からの学校生活の中などで、前橋空襲について伝えてもらえる場面も少なかった。周りの人達がこういう被害について知れるような活動をしたいと思って、ここに参加させていただいた。

 

山田さん

私の祖父母は体験していないが、祖父母の両親が戦争を経験しているのでその話を祖父母から聞いたりして私自身前橋で空襲があったという事は知っていたが、どの様なかたちであったのかは詳しく知らないので、やはり私達の世代の人達もあまり知らないのかなと思い、この課題研究でこのような前橋空襲を少しでも私達の世代に語っていけたら、と思ったのがきっかけでした。

 

橋本さん

このテーマにしたきっかけが広島の原爆ついての映画を家で見た時にすごい興味を持って、その時に地域の戦争については全然知らなかったので、そこで自分の住んでいる前橋の地域で戦争があったのかを調べたい。ちょうどその時に学校の課題研究という授業があってテーマに迷ったので、4人の力を合わせて、自分達の気になることをより深められたらいいなと思った。それで、このテーマにした。

 

手島委員長

広島の映像から自分の地域にという視点は、非常に素晴らしいと思う。皆さんがチームを組んで今まで活動して、前橋空襲の一斉慰霊にも参加していただいたと聞いているが、今までどのような活動をされているのか途中報告をお願いしたい。

 

橋本さん

まず、ネットで調べられる知識を入れてから他にネットにないこと、そもそも自分達のやりたいことは、同年代の人達に前橋空襲のことを広めたいことであり、ネットだったらみんな調べられるが、ネットでは調べられない事を含めて広めたい。今はまだインターネットで知ることができる情報を調べている。

 

手島委員長

前橋空襲一斉慰霊に参加した感想をお願いしたい。

 

橋本さん

まず、印象としては若者が私達しかいなかった。すごく強く印象に残りました。そこで改めて私達が主体になって前橋空襲のことを広めていく必要があるなと感じた。

 

手島委員長

前橋市にも常設の資料館が出来れば、戦争や空襲のことを考える場所ができるので皆さんが考えている、若い世代に、どう伝えるがという場所はできる。今3つの先進地の資料館の展示を見ていただいたのだが、こういう展示ならいいな、といった、それぞれ4人の方で感じられた事を言っていただきたい。

 

村上さん

私はジオラマがとてもいいなと思った。動いたりしなくても前橋市の全形のジオラマを使えば、どこにどの様なものが落とされて、どういう被害があったのかを分かりやすく、自分でも考えることができるのでは、と思った。

 

飯島さん

私があったらいいなと思ったのは3つの施設どこにもあったのだが、年表と一緒に出来事とか、その時代背景について知れるようなコーナー、紙に貼ってあるようなものがあるといいなと思ったのと、そこに加えて言葉だけでなく出来れば映像とか、写真とか当時の様子がより直感的にわかるような自分達の知らない時代の話になってくるので深く知れるように視覚から情報は入るものがあるといいなと思った。

 

山田さん

どの施設もとても素晴らしいと思った。その中で、部屋の再現をされている所とか、あと音とか。最初の姫路のところで、先ほど難しいと言っていたが、床の振動があったりとか、自分がその場でちょっとでも体験できたりすると、とても印象に残るのではと感じた。

 

橋本さん

空襲の前と後の写真を見比べるのがすごい印象に残った。そこにあったものが一瞬にして空襲とかで、消えてしまったのを写真や映像とかで見るのはすごい印象に残りやすいと思った。あと、高松市のアニメーションを通して、子供達に伝えるというのは、子供達がイメージを持ちやすい、入りやすいきっかけになるのではないか、良いアイデアだと思った。

 

手島委員長

委員の先生方それぞれご質問等をしていただきたい。

 

岩根委員

高校生の皆さんが関心を持ってこういうチームを作られたことに敬意を表したいと思う。前橋空襲を入り口にしながら、今の世界で戦争は起こっているわけだけれども、やはり戦争の実像みたいなものをあわせて学ぶそういう姿勢を持っていただけるとよろしいと思う。

 

吉良委員

今、日本では戦後色々な人々の努力で戦争の火の粉がかからない時代をすごしてきたが、外にいくと世界中に戦争が続いて起きている。悲惨であることはみんな知っているが、どうして戦争は無くならないのか、もっと考えていかなければならないことだと私は思っている。だか、その為には、人々が自分の生活の中で、生きる中で、何をしたらいけないのか、いつも心の隅において、私たちは歴史をひとつずつ作っていくといった姿勢をもってこれから、あなた達は未来があるわけだから、かつてのことから未来に歩み続けなければならない、ということの中で、何を考えるのか、ということをいつも胸の外から聞いていただければ、戦争で死んだ人達、苦しんでいる人達、世界中に溢れる人達、の言葉をあなた達の心の中に恐らく何かを芽生えるだろうと、実は思っている。それが歴史を勉強することだと、私は固く信じている。いずれ社会にでて、歴史を振り返ってみるということがなくなるかもしれない。自分の生活に対して。でも片隅にその分を残しておいてほしい。いつの日かまたおきるかもしれない。もう戦争は、第二次世界大戦が終わった後はないだろうと思ったが、ベトナム戦争、そして今ヨーロッパ。戦争は無くならない、ということをやっぱり思っている。でもどこかに抑止、止めないと。そういう意味で、戦争を研究するということはとても重要だろうと思っている。

 

新井委員

皆さん以外に課題研究で前橋空襲とか戦争発表を取り上げた方はいらっしゃるか。

 

後藤先生

長年携わっているが、初めてだった。

 

新井委員

課題研究でやられた今回の成果はどこかで発表することがあるか。

 

後藤先生

9月の頭に本校の行事で、生徒研究発表というものがあり、それぞれチームを組み、その中で、授業で発表をして、更に全校で発表をするチームを決めるので、必ず機会があるというわけではない。

 

新井委員

同じ年代の中で、悲惨な空襲があったということを伝えたいというお話しがあったが、その為にもこの課題研究が発表するチャンスがあるといいなと思った。やはり、同じ同級生の中で、空襲とか戦争とかに関心を持っている人は少ない感じでしょうか。

 

生徒一同

(同意)

 

新井委員

少ないようだ。地球上でなかなか戦争が無くならない。無関心ではいけない。是非皆さんに期待している。

 

手島委員長

2月の発表になったときには我々も拝聴したいと思う。今まで調べる中で、大変だったことはあるか。私たちも調べながら、体験する人が減っている中で、どうやって、色々な資料を集めて伝えるか悩みのところはある。皆さんは今ネットの段階ですが、ネットでも前橋空襲そのものは少ない。調べる中で、心している点はあるか。

 

村上さん

インターネットで調べ学習をしているので、まず前橋空襲の資料が少ないというのと、本当にこの資料は正しいか、そうではないのか、という判断をつけるのが難しい。

 

手島委員長

この前差し上げたブックレットは読んだか。どなたか感想はあるか。

 

橋本さん

インターネットは事実、そういうことが起こった、ということしか書いていないが、ブックレットは経験した方々の声が細かく書いてあって、参考になった。

 

手島委員長

小中高と授業を色々受けてきて、例えば国語だと詩だとか文学的な形で戦争が載っている、社会科だと日本の歴史の中でとか色々なかたちで学んでいく機会もあったと思うが、先生方が前橋の空襲について語ったことはあったか。あるいは群馬での戦争のことについて。

 

飯島さん

これまで学校の教育のカリキュラム中で、何回も戦争とかこの時代について学ぶ機会はあったが、先生から住んでいる地域について言われることはほとんどなかったように思う。多分先生たちの出身地とか分からないから何とも言えないが、授業内で求められている全国的な戦争についての知識とか、最低限進めなければならない内容とかで手一杯だったのかという印象があってあまり聞いた機会はなかったかと思う。

 

手島委員長

どなたか、みずき中の地区で何か子供の頃に聞いたことがあるという方は。

 

山田さん

小学校の頃に、落ちた場所、私の近所に碑みたいなものがあって、その周辺だったかもしれないが、ここら辺に落ちたということをちらっと小耳に挟んだ。

 

手島委員長

そういう山田さんの話を聞いて、1週間前の会議で岩根先生が大学で話をしたら、誰も知らなかった、という話を聞いて、そういえば聞いていた子がいたなと思った。そういう点は先生いかがでしょうか。

 

岩根委員

全員一人一人というわけではなかったが、たまたま出席している120人位の学生に出席カードにその辺のことを書いてもらった。ほとんどの学生が前橋空襲のことを知らなかった。それはよく考えてみれば、前橋空襲を体験された方がお父さん、お母さんということはまずあり得ない。おじいちゃん、おばあちゃんも多分幼い頃だから、あまり覚えがないし、強く子や孫に語ることもなかったのであろう。だから前橋市の小学校であれば、街の歴史、歩みみたいのを勉強する機会が4年生ぐらいにあると思うが、そのへんのテキストを20年前のものを見ると結構な頁数をさいて前橋空襲のことを書いてある。ごく最近は、数行で終わっている。教える側、提起する側も前橋空襲を提起していない。非常に残念な状況もあるので皆さんがそういうことについてほとんど知らないのはある意味当然なのかと思う。そのへんも含めて、こういう資料館を作ることで、改めて戦争なり、平和なりを考える機会を持つ非常に意義のあることだろうと思って、今回前橋商業の生徒さんがこの様な形で参加していただいたのは感激でした。是非頑張って広げていってほしい。ご協力できることは協力したい。

 

手島委員長

私も元々高校の日本史の教師だが、必ず生徒は日本史を勉強するのは嫌いだと言う。暗記ものだ、年号だ、だから嫌だと。あと難しい歴史用語を覚えなければならない。そういう歴史のイメージがあって、だから歴史を学ばない。そういうことで、前橋空襲のことも学ばなくなってくる。こういうのを伝えなければならないと言われて、伝えた時に、先ほど中身の話にもあるが、学童疎開とか灯火管制とか色々な歴史もでてくる。そういうものを踏まえながら、当時の実体とか空襲のこととかを年号を入れながら、示さなければならない時にどこまでならばよいか。私は授業で地方都市空襲とでてくると、実は前橋もあった、とくらいしか言わないが、この様なかたちで授業してきたが、生徒は、年号が嫌い、暗記が嫌い、受験にでない、だから別に覚えない。あまり難しいことを言わずに、本当にそう言った意味では映像みたいなもので、イメージを掴んで、更に関心があれば専門的な用語を学んでと。皆さんと同じ高校生、皆さんは関心があるが、関心のない子も含めて、どのように前橋空襲のことを頭に入れてもらえるのか、と思っているが、そのへんは同世代の皆さんとしてはいかがでしょうか。

 

村上さん

やはり授業で文字を読んで、聞いただけだと少し退屈する生徒も多いと思うので、やはり映像や、短めの動画で簡潔に伝えるほうが入ってくるのかなと思う。

 

飯島さん

自分も同世代の友達とかに、暗記は嫌だ、テスト前に出来事の名前を覚えなければならないと嘆いているのを聞いたりして、教科書とか黒板とかで進んでいく、文字とかだけの授業よりは、興味のない人達でも映像、写真とか、あとは建物の中、ブースの中を歩いて自分で見て回る体験ができると自分の記憶に残る。残り方が違うのではと思う。

 

山田さん

自分も二人の意見に重複するが、実際に自分で見たり、文字だけでなく、実際のものを少し見てみたりとか、映像などもとても大切なことだと思う。

 

橋本さん

私も歴史が苦手なほうで、そのとき歴史が得意な子にストーリー形式で覚えるとよいと聞いたので、先ほどの映像にあった高松市のストーリー形式でマネキンが置いてあるのは、歴史の細かい部分はあまり伝わらないかもしれないが、入りやすいのではないか、と感じた。

 

手島委員長

近代史は、戦争を避けて通れない。戦争となると悲惨なわけである。死体だとか。そういうのをどこまで展示するか。徹底的に悲惨なのを展示するか、その辺がどこまで耐えられるか、というのは必ず議論になる。高校生の皆さんだとそういうのは見ても大丈夫なのか、かなり冷静にできるのか。それほどでもなくイメージで伝えるような展示のほうがいいのではないか。若い世代としての感覚があるでしょうか。

 

村上さん

私自身は中学校の修学旅行で広島の原爆記念館を訪ねた時に、蠟人形だったり、体験者が書いた絵だったりを見て、怖いという感情もあったが、それよりもやはり自分の心の中に残っていて、戦争の怖さとかをより感じることができたので、そういった展示は良いと思う。だが、小学生向けではないと思う。恐怖の方が勝ってしまうと思う。

 

飯島さん

実体験になるが、小学生の頃に歴史の資料集の中に原爆を体験した人の証言とか、あとは、先ほどの映像にも出てきていたと思うが、手描きで原爆が落ちたときのその場にいた人達がどのような惨状になったかのイラストとか、載っていた時があって、小学4年生か5年生だったのだが、その時に自分はその絵が怖いというのが強くて、資料集の頁でびっくりした、という想い出がある。ただ、当時、授業の中でそれを見ていたのを今でも覚えているし、その悲惨な体験があったという事実が、怖い以外にも確かにあったのだなと残っている。意味のないことではなかったと思う。やはり少し悲惨な状況の描写は小学生よりは中学生以上ぐらいの人たちに向けてのものがいいのではないかとは個人的には思う。

 

山田さん

私の小学校の頃の教科書にイラストや写真が載っていて、とても怖いと思ったと同時に、この様なことが本当にあったのだなと思って、印象に残った。小学生だとすごく怖いと思う。もし中学生で見たら、小学生の時の怖いという感じよりも違う感じで、怖いだけでなく、確かにそういうことがあったことを理解しなければならないということが強くなると自分は思う。やはりそういうのはイラストとかでも伝えなければならないと思う。

 

橋本さん

映像は印象も強く与えられる。先ほど聞いたとおり時代背景とかこれから引き継いでいきたい部分というのが、怖いという印象につられて、薄れてしまうのではないかな、と感じている。戦争とかイメージとか、今後あってはならないことというイメージをつけるという部分では映像はすごく重要だが、背景を知ることに関しては強すぎるかなと感じてすごく難しいと感じました。

 

手島委員長

我々にとっても大変難しい問題である。先生方、今までの高校生のご意見を聞いて何かご意見あるでしょうか。

 

吉良委員

皆さんとてもいい発言をなさって、皆さんに覚えてほしい言葉がある。戦争は普通の顔をして近づいてくる。なにも今から戦争始まって、撃ち合いをするとか、爆撃をするとか、悲惨な目に合うとかいうことは、実は昭和の戦争の時も日露の戦争の時も日清の戦争の時も最初に徐々に徐々にわかってくるのにとても時間がかかる。だけどももう抜き差しならない。気付くよりも色々なことの仕組みのほうが先に行ってしまう。恐ろしさ。映画でもよくあるが、戦争は普通の顔で近づいてくる、という事を肝に銘じて我々は歴史の中の一つ一つを歩んでいくしかないということが重要ではないかと思う。特別に戦争だ、と現れるわけではない。そこが恐ろしい。

 

新井委員

年代によって感受性とか、受け入れられるだけの経験とかは違うと思うので、我々もどこまでやれるかはよく議論して、考えて展示をしなければならない。今のお話を聞いていると、中学生くらいになれば概ね自分の中で消化して受け入れられるのではないか、と印象を持った。ただ高松市の資料館で動画を見せていただいた時、小学校の4年生に見せている動画であった。その動画を見たが、アニメーションの中でやはり空襲で子供達が火につつまれて亡くなるような様子が映っている。これは小学校4年生で受け入れられるだろうか、と少し感じた。その辺は今後我々が考えていく中で、一番議論しなければならないところだと思う。

 

岩根委員

なかなか難しい所で、個人的な希望とすれば、近代史の勉強をしっかりやって、その上で戦争みたいのを語順づけていく、直接的ではないが、そうしないと戦争の実像というか、戦争の持つ意味というのは、非常に表面的にならざるをえないのではないか。実際に歴史的に見れば、第一次世界大戦の終わった後1928年昭和初期にパリで不戦条約が結ばれた。日本も参加している。これはつまり戦争自体を国家間の解決の手段として放棄する。1928年の段階で国際的に戦争を放棄するという国際的な条約が結ばれている。にもかかわらず、その後第二次世界大戦がおこり、日本にすれば満州事変、太平洋戦争、その結末が前橋空襲であり、広島の原爆だったりするわけで、少し視野の広い学習を合わせて、是非みなさんにも。これは高校生なら十分に消化できる内容だと思うので、それを踏まえながら、周りのみなさんにも広げていってもらえるとよいのかなと思う。そうでないとただ現象的にだけ戦争も空襲も含めて見ることとなるだけだと思う。それはそれで終わってしまうのかな、と思う。大いに期待しているので、広く勉強して欲しいと思う。

 

手島委員長

私には男の子が2人いて、勉強が嫌いなのだが、2人とも棒高跳びをしていて、上の子が中学3年で卒業時にどこかに旅行に連れて行くという話になった時に、広島に連れて行ってくれ、と言われた。お城が好きということもあるが、どうして広島か、と聞くと、高校で沖縄にいく、日本人として広島と沖縄には行かなければならない、と言う。どうしてそんなに立派なことを言うのかと思って、前橋も空襲があったのだよ、と言うと、教えなかったじゃないか、と言われた。何か教えておくということは、子供がどこかで学ぶきっかけになると思った。やはり資料館を作ることは必要と思うが、前橋商業の生徒さんは卒業するが、我々の議論が進んでいく中で、絶えず意見交換をでき、あるいは来年、再来年、同じテーマの方がいたら、高校生若い世代の代表として継続的にやっていただけると有り難い。是非、前橋市内で近いし、この様な形でお互いに学校地域も、地域の知恵を結集して、子供達に授業の意欲を、地域の創造力を、とか言われているので、引き続きこういう形でいい関係が前橋商業の生徒の皆さんと持てれば、と思っている。先生いかがでしょうか。

 

後藤先生

課題研究という授業に数年携わらせていただいて、初めてでした。元々その授業は、生徒が自ら課題を設定し、調査、研究をし、どうしたら解決できるか、どうしたら伝えていけるか、自主的に考えているもので、今回も教員の方からこういうテーマにしたらどうかというわけではない。本当に生徒のほうから発信されていて、今回このように色々な方々にお力添えいただいて、この会議にも参加させていただいて、継続して学校としても、この子達が卒業した後も同じ授業は続いていくので、後輩に引き継いでいくということをして、協力出来たらと思っている。

 

手島委員長

お陰で大変勉強させていただいた。是非皆さんも発表に選ばれていただいて、我々もそれを聞きに行って、またお互い意見交換をして、前橋市に立派な資料館出来るように応援していただきたいと思う。

 

4 事務連絡

(1)令和4年度第4回会議以降の開催日程

次回の会議日程の確認

第4回会議 第2回学習会

9月29日(木曜日) 午後2時 11階南会議室

 

5 閉 会

 

配布資料

更新日:2022年10月19日