松平大和守家(まつだいらやまとのかみけ)

あらまし

松平大和守家

イラスト 井田ヒロト

松平大和守家は、徳川家康の次男・結城秀康を家祖としています。前橋市朝日町にある孝顕寺と大手町にある前橋東照宮を伴い、12回もの転封をしていることから「引越し大名」という呼び名でも知られています。

5代朝矩(とものり)のときに姫路から初めて前橋の地に入封しましたが、利根川の氾濫などによる前橋城の崩落や大火などにより武蔵国川越に移封し、以後100年間は川越藩前橋分領となり、前橋は藩主不在の時代を迎えることとなります。

前橋東照宮

   前橋東照宮(前橋市指定重要文化財)

孝顕寺

         孝顕寺(結城松平大和守の菩提寺)

前橋城再興

天保2年(1831)当時、川越藩の分領であった前橋の地に派遣されたのが、川越藩士・安井与左衛門政章(やすいよざえもんまさあき)でした。安井は「前橋復興計画」を説き、藩費に頼らず、領民の力で新田開発などを成功させ、さらに、5年かけて利根川の改修工事も行いました。

安井の活躍により前橋の領民は藩主の帰城を嘆願しました。これを受けて、11代直克は幕府に対して3度にわたり「前橋城再築内願書」を提出。慶応3年(1867)、領民からの献金により川越から藩主が帰城、前橋藩が再興しましたが、間もなくして大政奉還となりました。

11代直克は、藩財政の鍵を生糸に見出します。横浜での生糸貿易に乗り出し、明治3年(1870)、日本で最初の洋式器械製糸所である「藩営前橋製糸所」を創設しました。同製糸所は深沢雄象・速水堅曹ら藩士の献策により運営されました。

結城松平大和守家の菩提寺である孝顕寺には、松平直克の墓があります。この墓石は長らく東京都練馬区の教学院で守られていましたが、前橋城の再興から150年の節目の年であった平成29年(2017年)に、地元顕彰団体である「結城松平博喩堂報恩舎」の尽力により里帰りを果たしました。

松平直克の墓

家宝・御手杵の槍

黒田家の「日本号」、本多忠勝の「蜻蛉切り」とともに天下三名槍と並称される松平大和守家の家宝「御手杵の槍」は、初代直基が結城家の名跡を継いだことにより、結城氏から松平大和守家に伝わりました。

昭和20年5月の東京大空襲で焼失してしまいましたが、平成28年に御手杵の槍のレプリカが復刻。松平大和守家第17第当主から初代直基が創建した大手町の前橋東照宮に奉納され、常設展示されています。

御手杵の槍

前橋藩主 松平大和守家顕彰祭

「第2回前橋藩主 松平大和守家顕彰祭」を開催しました

日時:平成30年4月22日(日曜日) 午前10時~午後3時30分

場所:臨江閣、前橋東照宮、前橋公園芝生広場

主な内容:「御手杵の槍」特別展示、前橋四公教養講座「前橋藩主 松平大和守家250年」

                  全国歴史研究会本部会員 長尾正和氏、鉄砲隊行列、川越藩火縄銃鉄砲隊演武

                松平顕彰祭ポスター        御手杵の槍

       

前橋の偉人たちキャラクターデザイン

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更新日:2019年12月23日