令和7年度前橋市戦没者追悼式について
先の大戦で亡くなられた戦没者に対し心から追悼の誠を捧げ、恒久平和を祈念するために「前橋市戦没者追悼式」を実施しました。
1 主 催 前橋市戦没者追悼式実行委員会
2 日 時 令和7年9月20日土曜日 午後1時30分開式
3 会 場 前橋市総合福祉会館 多目的ホール (前橋市日吉町)
4 参列者 256人
遺族 190人
来賓、関係者 66人
前橋市議会議員、戦没者追悼式実行委員会委員、関係団体の代表、
前橋市立前橋高等学校生徒代表、行政関係者
5 内 容
•開式
•拝礼
•国家斉唱
•式辞 前橋市長
•黙とう
•追悼のことば 前橋市議会議長、群馬県遺族の会前橋市連合支部支部長
•平和への誓い 前橋市立前橋高等学校生徒
•献花 前橋市長、群馬県遺族の会前橋市連合支部支部長、
群馬県遺族の会会長、前橋市立前橋高等学校生徒、
市内ご遺族、戦没者追悼式実行委員会委員、
前橋市議会議員、関係団体代表、行政関係者
平和への誓い 前橋市立前橋高等学校 3年 小野里 陽菜
平和への誓い
「戦争」がもたらした癒えることのない深い傷。いま、私たちにとって当たり前にある家も、かつては空襲によってやきつくされました。大切な家族と引き裂かれ、飢えと恐怖に耐えながら、命を落としていった人々がいます。どれほど生きたかったでしょうか。どれほど未来を夢見ていたでしょうか。そう思うと、胸が締めつけられ、言葉を失います。
わたしは修学旅行で沖縄を訪れ、はじめて戦争の痕跡を直接目にしました。資料館に足を踏み入れた瞬間、静かな空気のなかに重さを感じました。経験したことのないはずの光景が、胸の奥で鮮やかに立ち上がってくる。女学生の手で、麻酔もなく足を切断されるしかなかった負傷兵の話。原子爆弾が爆発したあと、そこに残された小さな三輪車。そこに確かに存在した「命」を想像したとき、息が詰まるような、強く締めつけられる思いに襲われました。戦争時、海が血で赤く染まっていたという話を聞いた直後、私の目に映った現在の海までもが赤く染まって見えました。背筋が凍るような恐怖に襲われ、海に入ることに強い抵抗を感じました。空からは戦闘機の音が聞こえ、戦争を経験したことがない私でさえもかつて感じたことのない恐怖にとらわれ、当時のことは想像もつきません。海が好きな私が、はじめて海を嫌いになった瞬間でした。戦争は人々の日常を奪い、人生を途中で断ち切り、残酷な現実だけを残していったのです。
余命3ヶ月を告げられた私の祖父も、かつて疎開し群馬へ来たといいます。一緒に車で出かけたとき、祖父は飛行場だった場所を指さして教えてくれました。静かに語る何気ない祖父の一言が、今も心に残っています。今では跡形もなく、祖父の口から聞かなければ知ることのできなかった記憶。もし祖父が語らなければ、その土地にそんな歴史があったことさえ、私は知らずにすごしていたでしょう。戦争を語り継ぐ人は少なくなり、その声は次第に消えつつあります。だからこそ、私たち若い世代が耳を傾け、受け取り、そして次へと伝えていかなければなりません。
私たちが今こうして、安心して学び、友と笑い合える日々は、決して当たり前のものではありません。それは、数えきれない犠牲と、平和を願い続けた人々の努力の上に築かれたものだからです。過去があるから今がある。だからこそ、私たちは過去を忘れてはなりません。忘れることは、犠牲になった方々を二度殺すことと同じだからです。同じ過ちを二度と繰り返さないと誓わなければなりません。その誓いを胸に、私たち一人ひとりができる小さな行動を積み重ねることが、未来を変える力になるのだと思います。
平和は、ただ願うだけでは守れません。言葉にし、行動で示し、そして次の世代に伝えていくことで、ようやく守られるものです。私たちはまだ未熟ではありますが、過去から学び、平和を受け継ぎ、未来へとつなげて行く責任があります。
令和7年9月20日 若者代表 前橋市立前橋高等学校 小野里 陽菜
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更新日:2025年09月22日