令和8年度前橋市戦没者追悼式を挙行しました
先の大戦で亡くなられた戦没者に対し心から追悼の誠を捧げ、恒久平和を祈念するために「前橋市戦没者追悼式」を挙行しました。
1 主 催 前橋市戦没者追悼式実行委員会
2 日 時 令和8年9月19日土曜日 午後1時30分開式
3 会 場 K’BIX前橋福祉会館 多目的ホール (前橋市日吉町)
4 参列者 238人
遺族 174人
来賓、関係者 64人
前橋市議会議員、戦没者追悼式実行委員会委員、関係団体の代表、
前橋市立前橋高等学校生徒代表、行政関係者
5 内 容
•開式
•拝礼
•国家斉唱
•式辞 前橋市長
•黙とう
•追悼のことば 前橋市議会議長、群馬県遺族の会前橋市連合支部支部長
•平和への誓い 前橋市立前橋高等学校生徒
•献花 前橋市長、群馬県遺族の会前橋市連合支部支部長、
群馬県遺族の会会長、前橋市立前橋高等学校生徒、
市内ご遺族、戦没者追悼式実行委員会委員、
前橋市議会議員、関係団体代表、行政関係者
若者代表 平和への誓い
本日、戦没者追悼にあたり若者を代表して、追悼の言葉を申し上げます。
私にとって戦争ははるか昔の出来事です。私はこれまで、学校で戦争について学ぶ機会があっても、それを自分自身の生活に結びつけて考えることはありませんでした。そんな中、私は先日、前橋空襲と復興資料館を訪れました。
資料館に入り、展示を見ていく中で、あることに驚きました。それは、私が普段自転車で通る商店街のアーケードは、かつてアメリカ軍の空襲の目標地点とされていたということです。今では人々が行き交い、店舗が並ぶ場所がかつては空襲によって焼け野原になっていたなんて、今の街並みからは想像ができませんでした。その事実を知ったとき、戦争というものが初めて自分の身近なものとして感じられました。
また、資料館には戦時中の招集を知らせるために配られた赤紙も展示されていました。戦争によってそれまで普通に暮らしていた人々の生活が、本人の意思とは関係なく変えられてしまう。そのことに私は強い恐怖を感じました。そして、戦争を体験された方の話を聞く中で、当時の細井小学校で勤労動員をしていた女性のお話が特に心に残りました。
一九四五年八月五日、警報が鳴り響く中、街中に不穏な空気が流れ、人々は嫌な予感を覚えました。そんな中、辺りが暗くなって急に空襲がありました。人々は逃げ惑うなか、必死に避難しました。次の日学校へ行くと、いつも一緒に過ごしていた友達はいたものの、先生の姿がありませんでした。みんなで先生を探したものの見つからず、寺院に行って先生が亡くなったことを知ったそうです。
その話を聞き、私は戦争では知らない誰かだけが犠牲になるのではなく、自分の身近な人や大切な人が、ある日突然いなくなってしまうことがあるのだと気付かされました。資料館を出た帰り道、私は「もし自分があの時代に生きていたら、果たして生き延びていくことができただろうか」と考えました。答えはわかりません。今の私には想像することも難しい恐怖の中で、多くの方々が必死に生き、それでも命を失ったのだと知ったからです。
私たちは戦争を経験していません。だからこそ、戦争の恐ろしさを自分の体験として語ることはできません。しかし、経験していないからと言って知らなくてもいいわけではありません。前橋で起きた出来事を知り、そこで生きた方々の声に耳を傾けることで、私たちは過去を想像し、当時のことに思いを馳せることができます。そうすることで、私たちが今生きている、友人と笑い合い、学校で学び、家族と過ごす何気ない毎日が、決して当たり前のものではなく、それは戦争を経験した方々が取り戻そうとし、そして今まで受け継がれて来た平和の上にあるかけがえのないものだと知ることができるのだと思います。だから私は、過去に何があったのかを学び続けたいと思います。そして、戦争を経験された方々の記憶や思いを、私たち若い世代が受け取り、次の世代へと繋いでいくことが、今を生きる私たちにできることの一つなのだと考えます。
これから先もこの前橋の街で、誰もが安心して日々を過ごし、笑顔で明日を迎えることを願い、若者代表の追悼の言葉といたします。
令和八年九月十九日
若者代表 前橋市立前橋高等学校 土屋 碧

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更新日:2026年09月29日