前橋城の関連文化財を訪ねて

古くは厩橋(うまやばし)城と呼ばれ、「関東の華」と称された前橋城。
その在りし日の姿をしのぶ、貴重な文化財等を紹介します。

前橋城址之碑

大手町一丁目1

前橋城址之碑

群馬県警本部北側の再築前橋城土塁上には、前橋城の歴史について、明治時代に記された石碑が建っています。
今回この碑文について、市民の有志の方より書き下し文を提供いただきましたので、ご紹介いたします。

前橋城址碑文(PDFファイル:288.3KB)

前橋城車橋門跡(市指定史跡)

大手町二丁目5-3

車橋門(くるまばしもん)は、前橋城の外曲輪(そとくるわ)の加内(金井)曲輪を結ぶ大手筋にあって、数ある城門の中で、特に重要な門の一つでした。
 「直泰夜話(なおやすやわ。(注釈1))」によると、初めは2本の柱の上に1本の横木をのせた冠木門(かぶらきもん)でしたが、酒井忠清(さかいただきよ。4代藩主)のとき、通路をはさんだ2つの石積み基台の上に渡櫓(わたりやぐら)をのせた渡櫓門に改められました。今に残る絵図に、その威容がしのばれます。

 前橋城は、宇都宮、川越、忍(おし。行田)の城とならんで関東の4平城の一つとされ、特に、幕府にとっては北関東のおさえの城として重要でした。酒井重忠(さかいしげただ)が初代藩主になった時、徳川家康は「汝に関東の華をとらす」と言ったと伝えられています。
 前橋城は現在、県庁北側の土塁、児童遊園地(るなぱあく)の空堀とこの車橋門だけが、当時の面影を伝えています。

  • 基台 前幅4.25メートル、奥行7.7メートル、高さ1.4メートル、基台の間隔10.9メートル

(注釈1)直泰夜話:酒井氏時代の事跡を記したもので、酒井氏家臣が著した。

前橋城車橋門跡

前橋藩主酒井氏歴代墓地(市指定史跡)

紅雲町二丁目8-15 龍海院

 龍海院(りゅうかいいん)境内の南西隅に酒井氏歴代墓地があります。酒井氏は、初代重忠(しげただ)から9代忠恭(ただずみ)に至る約150年間前橋藩主を歴任し、その後姫路城主を六代つとめた大名です。
 江戸時代の前橋藩主は、酒井、松平の2氏ですが、歴代墓地が前橋に残っているのは酒井氏だけです。
 墓地は、南北方向に大きな墓石が2列に並んでいます。西側に初代重忠夫妻をはじめ9基、東側に7基、他に2基あります。4代忠清(ただきよ)から15代忠顕(ただてる)までの墓石は同形同寸で広さ約40平方メートル、高さ80センチメートルほどの石造壇の上に建てられています。周囲には、石柵、石扉がめぐらされ、手前には燈籠(とうろう)と手洗い盤が置かれています。2代忠世(ただよ)、3代忠行(ただゆき)の墓地も同規模で、酒井氏の権勢がしのばれる立派なものです。

・墓石18基(うち2基は伊勢崎藩主の墓)
前橋藩主酒井氏歴代墓地

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更新日:2021年02月10日