富士見の文化財を訪ねて

「富士見地区の文化財めぐり」の一部を掲載しています。詳細は下のパンフレットをご覧下さい。

富士見地区には、赤城山頂から裾野にかけての雄大な自然環境と、赤城信仰を反映した、多くの文化財を見ることができます。

横室の大カヤ(国天記)

大カヤ

富士見町横室

カヤは、暖帯に成育する常緑針葉樹です。樹齢千年ほどのこの大カヤは、目通り周囲8.2メートルの大木で、日本三大カヤの一つに数えられています。寛延2(1749)年にこの地に諏訪神社を祀った際、ご神木とされたと伝えられています。

横室の歌舞伎衣裳(県重文)

横室の歌舞伎衣裳

富士見町横室

江戸時代から明治時代にかけて、この地区の大きな娯楽に地芝居がありました。横室歌舞伎は250年を超える歴史をもち、現在でも県内地方歌舞伎の一つに数えられています。寛政7(1795)年から明治の初めにかけて買い集めたという絢爛豪華な衣裳のなかには、江戸歌舞伎の名優が使用したものもあります。

船津伝次平の墓(県史跡)

船津伝次平墓

富士見町原之郷

天保3(1832)年、原之郷の農家に生まれた伝次平は、若い頃から学問に励み、和算の奥儀を究めるとともに農業技術の改良に努めました。その功績が認められ、明治10(1877)年、内務卿大久保利通から任命を受けて、駒場農学校(現在の東京大学農学部)の教授となります。その後も、農商務省巡回教師となって全国各地を巡り、農業技術の普及に努めました。明治三老農の一人として「上毛かるた」などでも親しまれています。

旧赤城神社参道松並木(市史跡)と夫婦マツ(県天記)

松並木と夫婦マツ(左奥)

富士見町時沢

江戸時代初期、旧赤城神社(大洞)の表参道だったこの地に植えられたもので、北は小暮村(現富士見町小暮)から、南は不動堂村(現富士見町時沢)まで続いていたといいます。富士見地区内には他にも松並木がありましたが、太平洋戦争時、松根油を採取するためほとんどが伐採されてしまいました。時沢小学校の校庭東に残るこの松並木は、樹齢300年以上といわれています。特に夫婦マツは黒松と赤松が根元で合着していることが名前の由来です。

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更新日:2019年02月01日