前橋市の文化財の概観

前橋市の文化財の概観について掲載しています。

前橋市は関東平野の北西部に位置し、赤城山・榛名山を背にして南東に開け、利根川がほぼ中央を南北に貫流し、豊かな自然環境を形成しています。このような自然を背景として、原始・古代から人々が生活を続け、文化が栄えてきました。
前橋の人々の歴史は約3万年前の赤城山南麓の旧石器時代から始まっています。赤城・榛名山麓には縄文文化をもつ人々が住みつき、やがて、弥生文化の農耕生活に入ると谷地などが水田として開発され、次の古墳文化時代には東国の中心として栄えるようになりました。
昭和10年の県下一斉の古墳調査の結果をまとめた「上毛古墳綜覧」によると市内には890基の古墳が存在しました。この中には、東日本最古の大型前方後円墳の天神山古墳から、終末期古墳の典型とされる宝塔山古墳・蛇穴山古墳にいたるまで、各時期のものがあります。また、墳丘や石室には巨大なものがあり、副葬品にも優秀なものが多く、重要な文化財となっています。仏教文化の広がりとともに、大和地方の寺院にも比すべき高い文化をもつ山王廃寺も建立されました。
奈良時代に入ると上野国の国府が元総社町付近に設けられたと推定されています。国分寺建立の詔が発せられると元総社町と群馬郡群馬町にまたがる地域に上野国分僧寺・尼寺が建立され、前橋の西部は文化的・政治的にも上野の中心地となりました。また、平安時代には国司の勧請した総社神社も建立されました。
しかし、古代も後期になると国司の勢力の衰退とともに国分寺は荒廃し、さらに戦乱等により焼失し、礎石、瓦等の遺構・遺物をみるのみとなりました。
中世では、仏教思想が庶民に広まり、端気町善勝寺の鉄造阿弥陀如来坐像などの仏像や、小島田町の供養碑・公田町乗明院の阿弥陀三尊画像板碑などの板碑や宝塔・層塔等の石造物が目立っています。
戦国の動乱期に築かれた厩橋城は、関東征覇の拠点となり、町づくりが始められました。近世になると前橋城と改められ、酒井氏・松平氏によって治められました。ここに城下町としての前橋が整備され、政治・商業の中心地として栄えました。利根川の西では秋元氏が総社に城を築き、天狗岩用水を開さくし、新田の開発を行うなど農村の復興に努めました。これらに関連する前橋城跡や酒井氏歴代墓地、秋元氏墓地、力田遺愛碑など多くの史跡が今も残っています。
近代に入ると、前橋には、日本で最初の器械製糸所がつくられたり、国立原蚕種製造所が設置されるなど生糸のまちとして発展してきました。また、県庁所在地として、政治・文化の中心としても発展しました。これらの足跡を物語る資料は多く残され、当時の様子を知ることができます。
前橋には、古代から現代に至るまで、いたるところに前橋特有の歴史が刻まれ、多くの文化財がそれを今に伝えています。市民共有の貴重な財産であるこれら文化財を愛護し、次の世代に受け継いでいくことは郷土前橋の発展にとって大切なことです。

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更新日:2019年02月01日