旧大胡町の概要(歴史)

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旧大胡町の歴史は古く、上野三碑の一つ「山の上碑」(681年建立)に大児(おおご)の名が刻まれています。中世には広大な大胡郷の中心地として栄えました。戦国期は大胡城主の大胡氏、江戸時代初期には牧野氏が居住し、牧野氏が長岡に移った後は前橋藩の支配下に入り、日光裏街道沿いの宿場町として発展しました。
明治22年、1町7村が合併して大胡村が誕生し、明治32年、町制施行で大胡町となりました。
そして、平成16年12月5日に、宮城村・粕川村とともに前橋市へ合併しました。

大胡町の沿革
時代区分 和暦 西暦 大胡町の歴史
飛鳥時代 天武10 681 「山ノ上碑(やまのうえのひ)」に大児臣(おおごのおみ)を刻む。
      広大な大胡郷の中心地として栄える。
安土桃山時代 天正13 1585 大胡高繁、大胡城主となる。
天正18 1590 大胡城主牧野康成、入城する。
江戸時代 慶長14 1609 牧野康成、55歳で死去。養林寺に葬られる。
元和2 1616 牧野忠成、越後長嶺城に転封、大胡藩は前橋藩の支配下に編入。
      日光裏街道沿いの市場、宿場町として発展する。
明治時代 明治6 1873 本応寺に大胡小学校が開かれる。
明治22 1889 1町7村が合併して大胡村が誕生する。
明治32 1899 町制施行で大胡町となる。

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更新日:2019年02月01日