下川淵カルタ か行(「か」から「こ」)

読み札(解説付き)

か 「亀里鎮守の お諏訪さま」 亀里の諏訪神社

『下川淵村誌』によれば、亀里諏訪神社の由緒はよくわかっていないという。明治41年(1908)政府の神社合祀(ごうし)政策(近隣の小さな神社を整理統合し、一町村一社にまとめて合祀する政策)により、亀里村内(現在の亀里町。竜門・阿内宿・寺家・矢島の各地区)の神社を合祀し、亀里の鎮守として祀られている。同様に新堀村・鶴光路村・下阿内村内の神社を合祀して新堀神社ができ、力丸町の飯玉神社は三丸(力丸村・徳丸村・房丸(ぼうまる)村)内の神社を合祀した。3社とも旧社格の村社である。

亀里諏訪神社の祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)*ほか9柱。例祭は3月27日、10月17日と春秋2回行われ、境内に幟旗を掲げる。平成18年(2006)社殿大改修を行った。

*建御名方神 大国主命の子。国譲りによって信濃国の諏訪に退き、服従を誓った。諏訪神社上社はこの神を祀る。
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亀里鎮守のお諏訪さま

き きずなを結ぶ 地区活動 地区交流活動

昭和40年代頃の下川淵は米麦養蚕、果樹などを生業とした農業中心の地域でした。そのころ今後の農業の発展のために土地改良や治水のための河川改修が行われましたが、環境が整備されたところで農業の将来を考え、住民は積極的に開発の道を歩み始めました。結果、工業団地や住宅団地、インターチェンジ、大型店舗等々が建設され農業中心の暮らしぶりが一変しました。その反面人とのつながりも希薄になっていく状況を危惧し、みんながつながり安心安全な住みよい町づくりを目指しました。自治会や地区役員、各種団体役員は、グラウンドゴルフ大会や納涼祭、スマイルボウリング大会お花見会等々、人と人が出会いともに活動をすることで絆も生まれ郷土愛が育まれる場面をたくさんつくりました。
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きづなを結ぶ地区活動

く 「公田に残る 渡し跡」 公田の渡し

公田の渡しは県道前橋―駒形線の一部として、利根川を挟んで公田町と対岸の高崎市萩原町を結ぶ県営の渡しでした。昭和47年(1972)まで運航されましたが、同年9月約150m下流に建設された昭和大橋の開通により廃止されました。前橋市内に残る最後の渡船でした。明治時代には舟を並べ板を渡し、舟橋にした一時期もありましたが、度重なる出水のため渡し舟に戻りました。舟は木造の川舟が一艘で、両岸に張られた鉄線を船頭が手繰り対岸へ人や自転車を乗せて運びました。

公田町の渡し場入り口には、運航の安全を祈願して水神を祀った明治時代の石碑が残っています。萩原町にはサイクリングロードの脇に「萩原の渡(公田の渡)」碑が立てられ、運航の歴史を伝えています。
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公田に残る渡し跡

け 「けやき千年 極楽寺」 極楽寺

極楽寺は亀里町寺家地区にある天台宗の寺。寺伝によると創建は平安時代前期の貞観(じょうがん)6年(864)、開基は慈覚大師円仁という。本尊の阿弥陀如来坐像は乾漆(かんしつ)造りで、源頼朝所蔵のものと伝えられる。江戸時代には御朱印35石が与えられた。

大けやきは境内地の南西にあり、樹齢は800年を超える。主幹の空洞化がすすみ倒壊の危険を避けるため、平成年間に2度の整枝を行い現在の姿になった。

境内地は南と西に環濠が残る。西に隣接する歴代住職墓地の奥には、常盤御前(ときわごぜん)の墓と伝えられる五輪塔がある。

境内には明治8年(1875)年亀里小学校が開校した。同時期に公田小学校、力丸小学校がそれぞれ開校したが、明治29年に現在の下川淵小学校に統合され廃校となった。
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けやき千年極楽寺

こ 「古墳の上に 浅間神社」 古墳と浅間神社

横手町石井家の屋敷内にあり、現存する下川淵地区最大の古墳。昭和10年(1935)に行われた群馬県古墳悉皆調査の報告書『上毛古墳総覧』によれば、形状は前方後円墳で全長約42m、前方部の高さ約1.8m、後円部約6.1m、石室が露出し堀の跡が残っていたとありますが、現在前方部は削られほとんど消滅しています。

後円部はのち富士塚に転用され、墳頂部には浅間神社の石宮が祀られています。富士講はすでに途絶えましたが、富士山の神とされる木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)が火の中で無事にお産をした説話をもとに、安産の神様として近年まで信仰されていました。富士山に見立てた「富士塚」は、その地域の「ミニ富士山」として人の手により築山されるか、古墳を転用したりしました。
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古墳の上に浅間神社

 

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更新日:2021年01月07日