下川淵カルタ や行と「わ」(「や」「ゆ」「よ」「わ」)

読み札(解説付き)

や 「屋根にやぐらの 養蚕農家」 養蚕農家

「米麦(べいばく)養蚕」――この地域の農業の特色を表すものとして、かつて使われていた言葉である。米は水田、その裏作に麦を作り、畑は桑を栽培して養蚕業を支えた。養蚕はすでに行われなくなったが、屋根に換気用のやぐらを載せた、住宅と蚕室を兼ねた大きな養蚕農家の建物が、下川淵にはまだまだ残っている。

表示板のある定方家母屋は、大正元年(1912)に建てられた。1階は約60坪、2階は約41坪ある。定方家は明治38年(1905)下川淵地区で最初に蚕種業をはじめた。利根川に面した下川淵は、河原を吹きわたる風が蚕の病気を媒介する蝿やダニ、細菌の発生を抑え、良質な桑の産地として多くの蚕種業者が誕生した。
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屋根にやぐらの養蚕農家

ゆ 「夢を発信 産技センター」      産業技術センター

工業試験場という名前で鳥羽町にありましたが、施設や機器が老朽化したため、企業の人達が利用しやすく、さらに企業の役に立つセンターとして最新の機器を導入し、平成15年(2003)に下川淵地区に移転してきました。企業の一層の技術力向上のため、いろいろな研修や講習会、研究会などが開催され、メールマガジン「産業技術センターまる得通信」による情報発信も毎月行われています。10月28日の「県民の日」には、センター内の一般公開を行い、地域の多くの人たちが参加し、センター職員の工夫のもといろいろな研究材料を使って科学体験をし、科学の楽しさ、ものづくりの楽しさに触れる貴重な体験の1日となっています。
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夢を発信産技センター

よ 「要路一本 玉村線」  前橋玉村線

玉村線の正式名称は「群馬県道11号前橋玉村線」です。通称「玉県(たまけん)」とも呼ばれ、下川淵地区随一の幹線道路として長い間地域住民に親しまれてきました。

玉村線は前橋市表町一丁目交差点(国道17号交点)を起点とし、玉村町の福島橋北交差点(県道24号交点)を終点とする、約10kmの主要地方道です。現在は亀里町交差点(県道27号高崎駒形線交点)から北関東自動車道の前橋南ICへのアクセス道路を経て旧道と合流するルートになりました。

玉村線はかつて八幡山道と呼ばれ、前橋から玉村、新町を経て八幡山町(現本庄市)に通じていました。明治の初め前橋が高崎と県庁誘致で競った時に、この道が東京への最短ルートとして整備され、誘致成功に一役買った歴史もあります。曲がりくねった八幡山道も、昭和4~9年にかけて改修工事を行い、現在の道幅に近い直線道路として完成しました。
要路一本玉村線

わ 「わせだ緑地は いこいの広場」 わせだ緑地公園

地域開発に伴って設けられた公共緑地で、住民の思いを形にするための公園建設委員会がつくられました。3.5haの面積を持ちアスレチックや遊具、ウォーキングコースも設置され、花の咲く木を中心に植え、平成18年9月に開園しました。自治会が中心に公園愛護会を発足させ管理を行っています。公園の地形から大きい三角形と小さい三角形の二つがあります。小さい方はボランティアグループが植栽、除草等行っており、花ゾーンと位置付けられ四季折々の花が見られます。さらに公園を会場にしたイベントも開催されています。「わせだ」の名前はその場所の「早稲田」の字名から付けられたものです。
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わせだ緑地はいこいの広場

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更新日:2021年01月07日