第2回前橋市歴史まちづくり協議会

審議会名

歴史まちづくり協議会

会議名

第2回前橋市歴史まちづくり協議会

日時

令和5年9月5日(火曜日)10時00分~11時10分

場所

前橋市議会庁舎3階301会議室

出席者

委員

手島会長、戸所副会長、村田副会長、石井委員、川端委員、日下田委員、阿佐美委員、飯塚委員、片貝委員

事務局(都市計画課)

宇田都市計画課長、高瀬課長補佐、原澤副主幹、横山主任

歴史まちづくり推進委員会委員・WGメンバー

大原課長、大友副参事、大島主任(以上、文化国際課)神宮課長、信澤副参事、山田主事(以上、文化財保護課)

欠席者

なし

議題

1 歴史的風致形成建造物の指定候補について

2 歴史的建造物保全支援事業(補助事業)の支援対象について

3 ヒストリックランドマーク整備事業の取組方針について

報告

1 歴まちカードのデザインについて

配布資料

詳細資料については個人情報を含むため非公表

標識デザイン案については諸般の事情により非公表

会議の内容

1 開会

2 議事

(1) 歴史的風致形成建造物の指定候補について

事務局より、資料に基づき説明があった。

(1)に係る質疑応答

(村田副会長)

歴史的建造物については、県内で最初に認定を受けた甘楽町の小幡では、街なみに関する各建物について、すべて建築調査が行われている。つまり、年代を含めて図面まですべて残してある。また、桐生市については、伝建群のための調査として、やはりすべて調査が行われている。

前橋市における最大の問題点は、建物の調査が全く行われていない中で突入しているという状況にあることである。

また、非常に残念なのは、資料1に掲載されている厩橋地区の候補には、一般の町家や民家が一軒も挙げられていないことである。伝建群でもどこでもメモリアル的な建造物は候補に挙がってくるが、町家や民家が挙がっていないのはあり得ない。

前橋については調査が行われず遅れているわけであるが、今後実施を予定しているとのことなので、後ほど見通しや規模などを教えてもらいたい。

また、候補の中で3番目に龍海院とあるが、「龍海院」という建物はない。本堂もあり庫裏があり御霊屋がありということで、年代は全部異なるのである。歴史的建造物を施設として捉えるのであればこれで構わないが、建造物として捉えるのであれば、象徴する御霊屋などと記載すべきである。

こういったことを決めずに動いていることについて大変懸念している。その意味でも今後、建造物調査を進めていくべきであることの理由である。

これは総社山王地区の民家についても言えることである。今回指定候補に挙がっている都丸廣明家は、附属建物もよく残されている。このお宅のように、養蚕農家という時は、母屋だけではない。母屋だけでは歴史的風致にはならない。後ろの樫ぐねや前にある蚕室などもすべて含めるのが普通である。今回の2件に関しては間に合わないが、そういった視点を入れて行かないと歴史的風致として成り立たない。また、今回の改修補助は、いわゆる1棟いくら出す、という補助金の体制ではない。1軒いくら、というやり方である。1軒には建物が2棟、3棟ある家があるのである。これも調査を行っていないため、建物を基準とすることができないのである。

また、天窓は明治の初年にはない。明治の半ばから後半にかけて登場するが、大正の終わりごろはもう天窓は造っていない。その意味で、天窓は当初からあったのか、あとから付けたのか、それくらいはわからないといけない。そのため、建造年代についても、何が根拠か、推定であればどのような根拠で推定したか記しておく必要がある。市や国のお金を使うのであるから、建造年代ははっきりさせておくべきだ。

以上のように、建造物調査を行っていないことで基本的な事項も押さえられないので、事務局には今後のスケジュールや見通しについて説明をしてもらいたい。

(事務局)

建造物については、神社や寺については本堂や拝殿のように分けて記述したいところであったが、神社や寺などの建造物については、代表的な名称で一旦掲載するよう国交省から指摘があった。

また、例えば拝殿を建て替えた場合は対象外となってしまうが、その場合も鳥居に着目して対象とさせていただいた。また、龍海院など建造物が多数存在する場合は、その一般的な名称を表記させていただいた。

ご指摘があった調査については厩橋地区からスタートしたいと考えており、来年度の予算要求をする予定である。こういった調査が進むにつれて、計画書の表記についても直していきたいと思っている。それにより、歴史的風致形成建造物の指定の仕方や登録有形文化財への目指し方も変わってくるであろうと考えている。

(戸所副会長)

今の村田副会長の発言と関連するが、今回提案された2件については何ら問題がないが、これからの進め方について申し上げたい。この歴史的風致形成建造物は、歴史的風致を作る、その核となる建造物を指定するということで、文化庁の文化財のように単体の建造物ではなく、地域づくり、つまり地域全体を良くするという意味合いがあると私は理解している。

その点から、価値がある建造物と、それほどではないけれども景観や風致を形成する重要な民家を総合的に見ていく必要があろう。これまでまちづくりに関わってきた経験からすると、今回のような指定があると、指定されたものが重要で、うちは関係ないのだ、ということがその周辺で起こることがある。つまり、個々の建造物の重要性というよりも、地域の中での歴史的風致形成建造物の位置付けなど、地域全体で見ていくことが必要になってくる。

今回の総社山王地区については、個々の建物はピンキリというのはあると思う。ただ、地理学の立場から申し上げると、市内で、全体として空間的に様々なものが整っている。これは大変珍しく貴重である。そこで私が恐れているのは、先ほども申し上げた通り、この2件が重要でうちは関係ないから、勝手に何をしてもいいのだ、となってしまうことである。そうならないよう、これをきっかけに地域全体でその地域を守って、より付加価値がつくような地域にしていこう、という方向に向くような施策を行っていただきたい。

この地域では新しく建て替えをしている家もあるが、この地区の景観コンセプトや歴史的風致形成のコンセプトはこうだ、ということを地域全体にご理解いただく必要がある。そうすることで、建て替えの際に、例えばピンクの家を作ってしまったなど、急に目立ったものが出来上がってしまうことがなくなるし、税金を使ってやっていくということは、まさに地域全体を良くしていくきっかけ作りとしなければならない。そういう方向で是非すすめていただくよう願っている。

また、これはもっと大きな話であるが、総社山王地区では「樫ぐね」というのが地域の大きなポイントとなるわけであるが、前橋全体では、「水と緑と詩のまち」というのがコンセプトになっている。最近感じるのは、前橋がいいねと言われるのは、やはり緑と水がベースとなっている。これは他市から来た人が、「高崎は殺風景だけど前橋は潤いがある。」と言っていただける所以である。しかし、最近「何かひどいですね。」と言われることが多くなった。私も、最近では歴史的風致を損なって、悪くなっている気がするのである。

例えば、最近、新前橋駅で大きな木が切られた。ビルが多くなり緑が少なくなる、といったことが多く起こっている気がする。ある特定の場所に税金を使っても、前橋全体として悪くなっていってしまうのでは困ったことである。

私が京都から戻ったころ、今から30年近く前になるが、高崎はもっと緑を増やすべきと議論をしたことがある。その時は、鳥が来たり、落葉の掃除が大変だったり、もうからないからやらない、との意見が強かった。それに対して前橋の緑は大変美しかった。最近は高崎で緑が増えてきているが、前橋は劣化してきているという印象を持っている。

なので、これを機会に、今回の2つの重点地区だけでなく、前橋全体がよくなっていっていくように事業を進めていって欲しいと考えている

(村田副会長)

戸所副会長がおっしゃったとおりだと思う。私どもが報告書を上げる際は、建築年や図面で構成されていると思っている方が多いと思うが、それだけではない。伝建群になるときの報告書は、例えば総社山王地区の養蚕農家であれば、歴史を遡り、地区においてその養蚕農家がどのような役割を果たしたかまで含め、追跡をした上での「建物」なのである。そういう場合は、当然建築だけではなく産業史の専門家を入れて作っているわけである。

今回、建物の概要に「蚕種製造農家」と書いてもらっているが、この用語は数年前に私が定義したものが学会でも認められたものであるが、日本で最初に蚕種製造農家となったのが塩原蚕種である。今までは養蚕農家としか見られていなかったが、よく見ると飼育温度が異なり、建物構造も違うことがわかった。そこで蚕種製造農家と繭製造農家の区別が国の文化審議会で認められ、使われるようになったのである。

また、2階建ての大型養蚕農家だけが価値があるわけではなく、平屋で時代が新しくても価値がある場合がある。もう一つは蚕室である。母屋はまあまあだとしても、蚕室が残っていれば、母屋と同等に扱わないとおかしくなってしまう。

その意味では、戸所副会長がおっしゃったように、地区全体としての特性を押さえなければならない。今回現地調査で5軒ほど見させてもらったが、一番古い建物は総社山王で建てられたわけではなく、榛東村から移築したものである。そういった由来を含めての、また民家の内部を含めての調査はされていない。そして、こういった調査と並行して、まちづくりのための説明会などの広報、講演活動を地道にやっていかないと、戸所副会長がおっしゃっているような流れにはなっていかない。その意味でこの10年で機運を盛り上げていくことにかかっている。そのため、広報活動も年に2~3回ほど計画的に実施して積み上げていくことが、特に総社山王地区には必要なのかなと感じている。

(1)に係る採決

(手島会長)

今、ご説明がありました2件を令和5年度の歴史的風致形成建造物に指定することについて、賛成の方は挙手をお願いします。

(全員挙手にて賛成)

全会一致で承認されましたので、事務局は引き続き指定への手続きを進めてください。

(2) 歴史的建造物保全支援事業(補助事業)の支援対象について

事務局より、資料に基づき説明があった。

(2)に係る質疑応答

(村田副会長)

2(2)の国登録有形文化財の調査費支援についてであるが、こういった支援は他市の文化財保護課でもやっているところは少なくて、半数くらいは自分のものなのだから自分でお金を出しなさいとしている。そういう意味では、このような事業はありがたいと思う。

ただ、資料に500千円×「2棟」とある。これは「2軒」としておいた方がいいのではないか。おそらく母屋だけを想定しているのであろうが、母屋以外にも附属建物があるわけである。要するに、母屋以外の附属建物も登録してもらえるのであれば、登録してもらった方がよいということである。県下でも藤岡市の川端家住宅であるとか、玉村町の重田家住宅であるとかでは10棟近くが登録の対象となっているし、その方がよいのであろうと思う。

文化財の指定の仕方については、県下では、県の重要文化財に敷地の指定をしたのは産泰神社が初めてであり、国の重要文化財では桐生市の彦部家住宅がある。建物と並べて敷地まで指定することで、全体的に保存するのである。例えば産泰神社は森がなくなって建物だけあっても神社としておかしいわけで、今回の養蚕農家も、母屋だけが大事なわけではないのだから、敷地全体として農家景観を残す形を是非ともとってもらいたい。

今回公表する際も、2棟という表示だと個々の建物だけ着目するような誤解を与えてしまいかねないので、2軒と表示しておいた方がよいと思う。

(事務局)

承知した。公表の際は訂正する。

(2)に係る採決

(手島会長)

事務局の説明のとおり進めていくことでご承認いただけますでしょうか。

 (異議なし)

(3) ヒストリックランドマーク整備事業の取組方針について

事務局より資料に基づき説明があった。

(3)に係る質疑応答

(手島会長)

具体的な中身については専門部会に委ねる形でよいか。

(事務局)

そのとおりである。

(手島会長)

この協議会では事務局の方針を認めていただき、ご意見があれば、その点は専門部会に伝え、内容をつめていただく形にしたいと思う。

(戸所副会長)

旧町名についてであるが、市外から来た人が見たときに、資料にある「このあたりは」と言われても、どの範囲かわからない。そのため、旧町名表示に地図を載せてもらいたい。旧町名それぞれはかなり狭いが、現在の土地利用と関わりが深いことも多いので、どこが境界かわかるようにすると皆さんは興味を持つと思う。確か金沢市では地図の表示があったと思う。少なくとも時間の変化と空間的な範囲については示していただきたい。

また、ヒストリックランドマークのデザインについてであるが、その地域に合ったデザインをご検討いただきたい。もう一つは、遠くから見た際にわかるような統一的なものがよいのではないかということである。市外から訪ねてきた人の視点からは、統一されていた方が「あそこに何かがある。」ということがわかりやすく、歩いてアクセスしやすい。私の知り合いの地理学者も、よく同じようなことを言っている。地域に合ったデザインでは、その地域に溶け込むが、サインとしては目立たない。アメリカでは、連邦政府が同じデザインを使用しており、アルミに刻印をするため非常に耐久性もある。必ずしもデザインがその地域に合っているかはわからないが、前橋市もコンセプトを明確にし、事業ごとにデザインが変わらないように専門部会で検討していただきたい。

(手島会長)

事務局が提示しているのは、それぞれ変えていく案のようであるが、戸所副会長は統一すべきというご意見である。その点も専門部会で議論してもらいたい。

(戸所副会長)

前橋にとってどちらが良いかという点も含めて検討が必要である。

(石井委員)

先ほどの説明では、レンガの街という理由からのデザイン提案であったが、もう少し全体を考えてやっていった方がいいのかなと思う。前の議題で提示された歴史的風致形成建造物の標識も、このデザインで作ってしまっていいのか、と多少物足りなくも感じた。

そのためサインについても、歴まちではこういったものを作るのだ、例えばわかりやすいものにするとか、凝ったデザインするとか、そういったことをきちんと骨子を決めてから進める方がよいのではないかと感じているので、専門部会でよく検討をしていただければと思う。

(手島会長)

回遊性などを考慮し、このような順番で回れば、といったことも要素に含めてもよい。

(事務局)

デザインについては、ご意見があったように地図を掲載することや、旧町の境界を表示することもできるのではと思っている。

(戸所副会長)

例えば紺屋町であれば、地図上でその部分だけ別の色にしたり、標識が立っている場所を表示したりするなど、工夫してもらいたい。

(事務局)

その点も含め、細部については専門部会でよく調整したい。

3 報告

(1) 歴まちカードのデザインについて

(事務局)

案のとおり。写真等については差し替えを行い、10月中には配布開始となる見込み。

4 その他

(1) 観光コンベンション協会の事業報告

(川端委員)

コンベンション協会としては、歴史まちづくりを活用した観光振興として、観光庁の補助を積極的に活用して、事業に取り組んでいる。

特に臨江閣のハード・ソフト両面の整備については、令和4年度に採択を受け、整備に着手している。また今年度は継承事業として、インバウンド観光を視野に入れた再整備事業について、補助を受けながら進めている。

ハード事業以外では、今回の議題にもあったヒストリックランドマークについても、専門部会の意見をサイン計画等に反映しながら進めていきたいと考えている。

また、今後、さらなる観光庁の補助事業を進めることもあろうが、前橋市の歴まち計画の施策に合わせる形で実施していきたい。その際は、協議会の委員の皆さまのご意見も参考にさせていただき、観光分野でお役に立てればと考えているので、よろしくお願いしたい。

(村田副会長)

臨江閣についてであるが、茶室に冷暖房が入っていない。整備のときに私も委員に関わっていたが、本館も含め、別館についても反対意見が多かった。ただ、今の時代はそうではないだろう、ということで、本館、別館については最終的には廊下まで冷暖房を導入した。

茶室は今井源兵衛という、当時の星岡茶寮の棟梁の施工であるが、単なる京都の宮大工というレベルではない。星岡茶寮が臨江閣と同じ年の明治17年にできていて、その前の年の16年に鹿鳴館ができている。茶室を造ったのは、当時茶道が廃れていて何とかしたいという思いがあったのであろう。臨江閣には四畳半の小間と八畳の茶室があるが、八畳の茶室は、本来は七事式を行うためには四畳半では足りないため、存在するものである。そのため、本来は八畳の方は茶道の教育の場なのである。こういった茶室を有効活用するためには、廊下の部分を改修すれば、茶室自体を傷めないで冷暖房が完備できるのではと思う。

臨江閣があそこまで使われるようになったのだから、茶室は「お飾り」で、ただ見てください、というわけにはいかないだろう。

その意味で、茶室の冷暖房というのは一つの課題と捉えており、今後それが実施できれば、臨江閣の茶室から茶道の復活、またそれによりますます臨江閣の意義も高まるので、そういった視点があるということだけ認識いただきたい。

(手島会長)

茶室の冷暖房については、コンベンション協会の事業でできるのか。

(川端委員)

国の補助事業の中でのハード決めの際、可能な時もあるかもしれない。

(村田副会長)

臨江閣の茶室は、国の文化財であるからそう簡単に改修するというわけにはいかないと思うが、今すぐというわけでなく、課題として捉えていただきたい。

(戸所副会長)

臨江閣の正門を入っていた際の景観の状況は変えることはできないのか。というのは、何となく正門からの見た目が殺風景で、来賓を案内する際に、雑然としている印象を持たれてしまう。もう少し品格を高めるような整備を検討いただければと思う。

(手島会長)

コンベンション協会には、是非ともご協力をお願いしたい。

 

(2) 第5回歴史まちづくりシンポジウムについて

(事務局)

開催について説明、申込み方法についての案内を行った。

5 閉会

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更新日:2023年11月27日