第4回前橋市歴史まちづくり協議会
審議会名
歴史まちづくり協議会
会議名
第4回前橋市歴史まちづくり協議会
日時
令和6年12月18日(水曜日)9時55分~11時45分
場所
前橋市中央公民館 505学習室(前橋プラザ元気21 5階)
出席者
委員
手島会長、戸所副会長、村田副会長、石井委員、川端委員、日下田委員、小坂委員、片貝委員
事務局(都市計画課)
塚田都市計画課長、高瀬副参事、原澤係長、齋藤主任、横山主任
庁内
大原課長、大友副参事(以上、文化国際課)神宮課長、信澤副参事、山田主事(以上、文化財保護課)
欠席者
飯塚委員
議題
1 歴史的風致形成建造物の指定候補及び歴史的建造物保全支援事業の支援対象につ
いて
報告
1 ヒストリックランドマーク整備事業の進捗状況について
2 前橋城大手門跡の整備に係る検討状況について
配布資料
歴史的風致形成建造物の指定候補及び 歴史的建造物保全支援事業の支援対象について(資料1) (PDFファイル: 417.6KB)
詳細資料については個人情報を含むため非公表
ヒストリックランドマーク整備事業の進捗状況について(資料2) (PDFファイル: 1.4MB)
ヒストリックランドマーク整備事業の今後の取組み(資料2-2) (PDFファイル: 575.9KB)
前橋城大手門跡の整備に係る検討状況について(資料3) (PDFファイル: 1.3MB)
会議の内容
1 開会
2 議事
(1) 歴史的風致形成建造物の指定候補及び歴史的建造物保全支援事業の支援対象につ いて
事務局より、資料に基づき説明があった。
(1)に係る質疑応答
(戸所副会長)
国費が充当されないから実施しないということであるが、それもどうかと思う。国との駆け引きをするのがよいのか、市費単独で実施するよう交渉するのがよいのかわからないが、その地域の住民は、市がどれだけやる気があるか、ということを見ているはずだ。特に調査をきちんとやっていなければ、その後が続かないのではないかと思ってしまう。10年間事業を実施していく中で、予算を切られたらやりません、というのではなく、市としてやる気を見せていく必要があるのではないか、という印象を持っている。
次に、公開の範囲であるが、案件ごとに差があるため、できる限り庭の中の方まで広げてもらえるよう交渉を続ける必要があるのではないか。これが前例となって、次に指定される対象者についても影響があるかもしれない。
3つ目は、全体として感じることであるが、今後事業を続けていく中で、地域に熱意がないと困る。これまで関わってきた例を見ると、うまく行くかどうかは、地域に熱意があるかないかかかっている。このしかけについて、私が4月に総社山王地区でお話させていただいたが、これがあとに続いていない。もっと全体で地域を変えていくんだ、というという仕組みをどう作っていくか、真剣に考えないといけない。これは街なかも同じだ。
前橋市では、市民がこの事業を実施していることをあまり認知していない。職員も同様である。その辺りを盛り上げていかないと、財政的にも応援してもらえない、ということになってしまう。その意味で、ムード作りが必要かなと思う。
もう一つ、指定区分について、資料では指定基準が「地域の固有性、歴史性、希少性の観点から価値の高いもの」のみ該当する、としているが、今回の対象物件を風致という点で見れば、やはり養蚕の地域だなということがわかる。そのため、「外観が景観形成上重要で、街並みの構成要素として重要な建造物」にも関わるものだと思う。これは2つ丸をつけるわけにはいかないのか。
(事務局)
どちらかというと、という意味で、指定基準を選択しているものである。
(戸所副会長)
固有性などは、モノがなくても成り立ってしまう。総社山王地区は景観的なものが強いのではないかと思う。そうしないと、何も知らない人が見たときに、イメージと異なる、となってしまわないか危惧される。
(事務局)
いくつかご意見をいただいた中で、まず、国費が充当できず、年度内の事業実施ができなくなったという点について、地域に対し、市としてやる気を見せていく必要があるのはそのとおりだと思っている。こちらとしても、国費について、どこかで余剰がないか市内部や県にも確認しているが、今回使用している住宅局の交付金については元々配分率が低いようだ。
そのため、市の中でも、交付金が充当できない事業については、一括して実施しないという結論になっている。ただ、標識設置については、来年度に実施できるよう調整を続けているところである。
また、公開範囲については所有者と相談して決めさせていただいている。これ以上の範囲については、例えば公開日を決めて、事前に市との調整をしていただくことで可能としている。
地域としてのムード作りについては、今回4月に戸所副会長に講演をいただいてから、7月に村田副会長にも講演をいただいている。こういった話は、毎回ご指摘をいただいている点ではあるが、歴史的風致形成建造物の指定や改修補助等も含めて、徐々に地域の意識を高めていきたいと考えている。また、今年度中には、地域での勉強会等について企画をしているところである。
なお、歴史的風致形成建造物の指定基準については、先ほどお答えしたとおり、どの項目にも当てはまりそうなところであるが、特に当てはまるということで、選択しているところである。選択されていない指定基準については、指定する理由等で言及できればと思っている。
(戸所副会長)
村田副会長が講演されたという情報は私のところには来ていない。山王地区だけでなく、広く周辺も巻き込んで、応援してもらうことが必要なのではないか。地域だけでやらなければならないことも当然あるのはわかるが、ムード作りという点からは広く周知してもいいのではないか。
(村田副会長)
まず、公開範囲についてであるが、文化財のケースでは、年に数回公開日を決める方が、所有者にも不便をかけずに済むのではないか。そういった公開のあり方についても検討された方がよい。
指定基準については、「風致」という言葉自体がすでに景観で決めているということなので、戸所副会長の言うとおり1つの基準にこだわる必要はないと思う。
これを踏まえ、まず対象としている建物は、数年前に外観上の推測でリストアップされているものを参考にしているだけである。移築された建物も多く、山王地区における養蚕農家の発展など、地域の固有性はまだ掴めていないと思っている。例えば、移築が多く、昔は養蚕が盛んではなかったかもしれない、ということも1つの地域の特性といえる。そういったことも含め、きちんと聞き取りができる人が行かないと意味がない。地域の特性を把握するための予備的な調査を早期に施することが望まれる。
ちなみに、今回の3件についてであるが、二階建、出梁、セガイというのは、養蚕農家としては究極の形で非常に新しい姿である。明治の前期には出梁は絶対にないものだ。こういった建物は昭和30年代まで建てられている。ある意味でそれが重要な意味を持ってくることもある。なので、そういったことをきちんと押さえた上で、地区や年代等の観点も含めた全体的な特性の把握について、専門家に見てもらった方がよい。
次に、今回の指定は主屋を対象にしている。ただ、文化財の場合は「〜家」ではなく、「〜家住宅」としている。つまり、農家の場合は附属建物があっての主屋なのである。そのため、指定について主屋だけで進めるという点は疑問である。指定しても差し支えないような、50年経過した附属建物に関しては、指定対象とした方がよいと思う。今回、崩れている土蔵が見られるが、主屋に手をかけるのではなく、この土蔵を対象にして助けてもよいのではないか。そういった意味でも、附属建物を視野に入れていかないとおかしくなってしまう。
3つ目は、取り上げる建物の価値の確認をもう少しきちんとした方がよいということである。例えば、江戸時代に移築したという指定候補があるが、それが建造年ではないわけである。そういった調査もできていないのが問題である。
また、一般的に、天窓がある建物については、明治30年代以降でないと建てられていないので、改築されている可能性が高い。県下全体のおおよその傾向はわかっているのであるから、総社山王地区で天窓が一番早くできたのはいつごろか把握がされているべきである。大抵の場合は、明治の終わりから、大正、昭和の初期の終わりくらいまでである。
そういった建築様式から年代が間違いないか、という検証もなされていない。間取りや寸法などの要素から、その時期で間違いないという検証がなされていないのは気になる。委託料を出して調査をしているのであれば、再調査してもらった方がよいのではないか。
(事務局)
1点目の地域の特性や3つ目の建築的な意味については、確かにおっしゃるとおりだと思う。所有者から聞き出しているものの、どうしても断片的な情報になってしまい、また、それが総合的にどのような意味を持つのかまでは評価できていない。本来であれば、登録有形文化財への調査支援などを重ねて総合的に勘案したいところであるが、今は1年に1件できるかできないかという状況である。できれば村田副会長にもご協力いただいて、聞き取り等にご同行いただけるとありがたい。
2点目にご指摘をいただいた、母屋(主屋)のみを指定対象にするのではなく附属建物を対象にすべき、というご意見であるが、この点については、実は現在国からも附属建物を指定対象としているか、またはその範囲について照会が来ているところであり、制度が成熟していないようである。
市の立場とすると、指定対象と改修補助をセットにしており、附属建物や外構の改修を希望している方もいることから、他市の状況等が明らかになった時点で、指定変更により附属建物についても対象にしていきたいと考えている。
(手島会長)
今いただいた両先生の意見を受けて、来年度は公開の日を設けることを検討してみたらどうか。
(事務局)
まち歩き等は市でも企画しているので、日時を指定して公開をしてもらえるよう交渉したい。
(手島会長)
総社山王地区の勉強会については、戸所副会長には地理学的観点、村田副会長には建築の観点からご講演いただいたが、第3弾として養蚕の観点からの話もあった方がよいと思い、日本女子大の井川克彦名誉教授の教え子である土金師子(つちかねかずこ)さんという若い研究者を推薦した。
土金さんとは、以前、養蚕・蚕種の指導者である清里の井草太郎右衛門の調査に際し、一緒に現地を回ったことがある。そこでは、群馬県の養蚕、特に蚕種は、国分から始まり、それが清里や総社に伝わり、南橘や富士見に広がっていったことがわかった。井草太郎右衛門の親戚が、総社高井の福島蔵之助で、そこから総社山王に伝わったのではないかと推測できる。
最終的には、明治の終わりごろに国の主導によって、高山社の折衷育が主力となっていくが、それまでは温暖育と清涼育のどちらかが採用されていた。清里の井草太郎右衛門らは温暖育を基礎とした焚火育を採用していることから、それに影響された建築や時代の変遷による変化などがあったのであろう。
そういった観点から、土金さんを講師で招いて講演をお願いしたが、現在博士論文を書いており多忙なようであった。そのため、土金さんが一段落した段階で、私と一緒にお話ができるのではないかと考えている。
(石井委員)
住民の意識、機運が盛り上がっていないというお話があったが、実際どのくらいのニュアンスなのか。つまり、指定候補建物は全部で16戸程度と思われるが、よくあるのは縦横ラインの道の整備や、建造物を市が買い取った上で、建築モデルが見学できるような記念館として整備するなどが考えられる。それにより、お店が出るなど、歴史好きだけでなく一般の方も入っていけるような観光ルートを目指すのではないかと思うが、そこでベースとなる住民の機運がどういった状況なのか確認したい。
また、今後、「そのルートに入った」ことがわかるような地区を目指していく中で、モデルとなる地区があるか。
(事務局)
まず、住民側の機運という点であるが、今から20年くらい遡ると、かなり地域住民に熱意があった。当時は、各地に視察に出向き、いよいよ伝建群を目指すかという機運の高まりがあったが、今はその時ほどではなくなっている。そこを我々とすれば、せめて養蚕農家が無くならないように改修してもらい、登録有形文化財を増やしていけるよう練り直しているところである。
ただ、ご質問にあったように、道を整備し、モデルとなる建物を見せて、ということも考えており、例えば往還と呼ばれるメイン通りの整備イメージが計画書にパースで描かれている。また、道沿いに空き家となっている大型の養蚕農家もあることから、それを活用するとか、その付近に駐車場を設けるとか、そういった方向性を住民側から出していただきたいと考えている。そのため、先ほど手島会長からお話いただいた土金さんの講演会の日程が決まるまでの間に、養蚕農家の所有者の方々を集めて、次の策をどうするか話し合う予定となっている。
なお、目指している地区とすると、茨城県桜川市の真壁地区を挙げたい。真壁は、何人かの家主の熱意で登録有形文化財を増やしていき、後に伝建地区となった所で、そういった意味でモデルケースとなると思う。
(村田副会長)
先ほど戸所副会長からお話があった地域のムード作りという点でいえば、県内のある地区は伝建群に2回挑戦しているが、調査もすべてできているにもかかわらず、住民の賛同が得られず叶わなかった。
また、他の地区でも、複数年にわたり研修会を実施しながら国登録有形文化財の登録を進め、伝建群を目指している、。
しかし、登録に係る調査費・資料作成費を所有者は負担していない。この場合、所有者は「やってもらっている」となり、自分たちが登録する意識が薄くなってしまうのではないかと考えている。群馬県内でも、市町村が主導してお金も負担し、個人宅を登録有形文化財にしているところも存在する。これは、ある面で所有者の自主性を損なっているともとれる。
同時に、総社山王については、その地域で取り組んでいるだけでは駄目で、地元の方が自信を持てるような取組みをしないといけない。そこまでどうやって持っていくかを考えると、総社歴史資料館で全市民を対象とした「総社地区の養蚕農家を考える」といったことやってもよい。他の地域の方から、「あの地域はいいよね」と思ってもらわないといけない。これは他の地域・地区も同様である。やはりそこまで行くには、年1回のような単発的なイベントではなく、まずは地元での勉強会を、毎月ではなくとも2か月に1回くらいのペースで地道にやるしかないと思う。
また、総社の子どもたちや若い方は必ず総社山王地区を見学するようにするよう教育委員会と協調し、その結果、中学生、高校生が自分たちの地域の説明ができるようになるなど、子どもたちや若い方をどう参画させるかも検討しなければならない。ただ、そうなるには、こちらがよっぽどテコ入れをしなければできる状況ではない。
市は登録有形文化財の登録支援を予算化しているが、登録は「私が残したい」と手を挙げた人がやるものだ。単に登録だけでなく、まちづくりへ参画するという意識の醸成も欠かせない。
これは、歴史まちづくりの計画を策定しただけでは実現しないので、これまでとは異なる広報や手段で進めてほしい。いずれにしても、地域が考えるきっかけをつくってほしい。
とにかく地道な勉強会をやることであるが、その内容は一般論ではなく、もっと身近な自分たちの住まいの価値付けができるものがよいと思う。所有者本人の意識を高めることが重要と認識すべきである。
(戸所副会長)
先ほど石井委員から、一般の方が入っていけるような観光ルート、といったお話があった。私は、他市から来た方を総社歴史資料館によくお連れする。そこでは、総社山王の歴史まちづくりの取組みについて、まだ取り上げられていないようだ。資料館で古墳や山王廃寺の情報を得られるが、今の歴史まちづくりの動きを広報してもらうということも一つではないか。そうすれば、他市から来た方も資料館で目にした後に、行ってみようか、というきっかけにも繋がる。
また、村田副会長から子どもたちへの教育のお話があったが、私は総社小学校を卒業し、六中の一期生である。子どもの頃から古墳の周りで遊んでいたが、同時に先生から、全国的にもすごい場所だということを教えられてきた。古墳巡りなどもやったが、このことは後に京都に進学した際も、地元が東国の中心であることに自信を持っていた。やはり小学校で教えてもらい、現場を見るということは、身に付けるという意味ではよかったのだと思う。
総社歴史資料館の件は、文化財保護課の所管で、実施はそこまで難しくはないと思う。是非検討してほしい。
(片貝委員)
今回委員の皆さんのお話を伺って思い出したが、10年近く前に、長男が大学の研究で地元の総社を見たいというので、自ら案内したことがある。その際、駐車場が見つからず、やむなく総社山王公民館の敷地に車を置かせていただいた。とても良い雰囲気なのに、どこに駐車したらよいかわからない。来訪者への駐車場の案内はしているのか。
(事務局)
現時点では、周知はできていない。
(片貝委員)
戸所副会長から提案があった総社歴史資料館での周知は大変重要であるし、今後、案内ができるのであれば、地元との調整もあるだろうが、駐車場も併せて周知した方がよい。
もう一点、指定候補の中で、土蔵の改修が必要と見受けられる物件があるが、これは母屋ではないから改修の補助対象にならないのだな、と理解した。資料の中の「特筆すべき附属建物等」にある建造物は、歴史的意味があって掲載されているのだと思う。こういった建造物についても、諸事情があると思うが指定対象にするべきであるし、歴史的意味についても、把握できていないものは整理すべきなのだろうと思った。
(手島会長)
色々と意見をいただいたが、そういったことを踏まえて、来年度以降の事業に活かしていってもらいたい。
では、事務局から提案があった、総社山王地区の3件の歴史的風景形成建造物への指定と支援対象について、異議がなければ提案どおり進めさせていただきたい。
(異議なし)
異議なし、ということなので、事務局は提案どおり進めること。
3 報告
(1) ヒストリックランドマーク整備事業の進捗状況について
事務局より資料に基づき説明があった。
(1)に係る質疑応答
(戸所副会長)
整備済の爆撃照準点と桑町の案内看板の耐久性はどうなっているか。将来にわたって長く掲示されることで市民の認知度が高まってくると思うが。
また、今回の説明とは少し離れるが、前橋城の復元について、現在の進捗はどのようになっているか。お金がかかる事業であるから、ムード作りをやっていかないと今後が大変で、水戸の大手門も市民が盛り上ったことで造ることができたのだと思う。10年先にやるとしても、今から取り組んでいくことが必要である。できれば、毎回進捗度合いを報告していただけるといいなと思う。
(村田副会長)
先日、文化財調査委員会で水戸のまちづくりを視察させていただいた。大手門や角櫓など、今まで何もなかったものを復元している事例である。もともとは200万円程度の寄附がきっかけのようであるが、そこから段々と市も動かざるを得なくなった状況なのであろう。なお、建設費については、大手門は6億円、角櫓は8億円だと聞いた。半額補助で起債をしているとはいえ、14億円はかかっている。
水戸は1期目の10年が経過し2期目に入り、大型事業が1期目だけでできているものではないことがわかる。本市も今後進めていくに当たり、すぐに着手できないことは理解できるが、シンボル的な事業は何かとなったときに、該当する事業については、本格的に議論を開始をしていかないとまずいのではないかと思う。
街なかについては、馬場川通りなど具体的にまちづくりが動き出している。これは要望として申し上げようと思っていたことであるが、次回あたりからこの議論を始めていかないと、どんどん難しくなってしまう気がする。
また、先ほどの歴史的風致形成建造物に関しても、総社山王地区でも課題が残っているが、厩橋地区はどう進めるかについても示されていない。
今後、年3件ずつ指定を進めていっても、たかが20件である。県下では桐生は50件以上建造物があることから伝建群になれたのである。
現在は総社山王地区に偏っているが、厩橋地区についても、この会議で議論しておいた方がよいのではないか。
(事務局)
まず、案内板の耐久性については、業者からは5年は保証されているとのことである。逆に、元気21の50号側の出口付近に生糸改所の石碑があるが、色は落ちるが、彫った部分は半永久的に残る。かといって、それが多くの方に見てもらえるかと言えば、そうではないのだろう。今後劣化して更新する場合もあるかと思うが、その際にまた周知でき、注目されるきっかけになるとも考えうる。その辺りのバランスを勘案しながら、事業を進めていきたい。
次に大型事業への着手に関するご意見であるが、我々もその点については重々承知している。今夏、事業総点検という場で、まずは機運の醸成からスタートするよう指示があった。そのため、今年度は、産業界の皆さんに対し、歴まち計画を周知する意味で、商工会議所において「歴史まちづくり説明会」を開催させていただいた。現時点ではそういった状況である。
(2) 前橋城大手門跡の整備に係る検討状況について
事務局より資料に基づき説明があった。
(2)に係る質疑応答
(石井委員)
大手門跡については、私も当時関わっていたため、色々と議論した記憶があり、隣地購入について提案したのも私どもである。
今の説明では、おそらく財政的な事情があるのであろうが、整備については先送りでまだ諦めていないようなので、ぜひ将来に向けて進めていただけたらと思っている。最低限、案内板の整備は必要だが、石の現物がないとリアリティが伝わらないので、その点工夫をしてもらいたい
ちなみに、当時提言書を出された方も、大手門を拠点にまち歩きができたらいいとおっしゃっていたので、説明板でも進めていければよい。大物事業が動かないとはいえ、粛々とできることを進めていくことも必要である。
戸所、村田両副会長から水戸の大手門復元のお話があったが、整備が忘れ去られないよう、せめて調査費だけでも計上していただけないかな、という思いはある。
(事務局(塚田都市計画課長))
石垣の石について、専門家の先生に教えていただきたいことがある。
庭園は、各時代の権力者がそれぞれの形で庭を整備し、保存していくという流れがある。 中には、当時の権力者が価値や由来のある石を持ってきて、庭を整備することで新たな価値付けがされて庭が保存されることもある。
今回出土した石垣の石は、本市にとって貴重な財産であると思う。その意味では、地下にその石が埋まっていることを記すだけではなく、例えば前橋市の職人による技術やデザインで新たな価値を加え活用することも、個人的には大事なのではないかと考えている。その点について、ご意見を伺いたい。
(村田副会長)
例えば東京駅にある美術館では、当時のレンガ壁が見られたり、パルテノン神殿では、神殿と同じ建物が現在はコンクリートで造られているが、強化ガラスにより建物の中から地下の遺跡が見られるようになっている。今回も、1階部分をガラス張りにすることは、構造上できないことはないが、日本ではそういった発想はあまりないのであろう。
当初から関わっている甘楽町の楽山園では、庭園の第一人者である飛田先生に委員として入っていただいたが、そのときはコツコツと発掘をしながら価値付けをしていったことで、群馬県第1号の国の名勝になった。
その意味ではやはり現地が重要で、現地をどのように見せるかだと思う。
本来であれば、民間の開発業者と協力し、マンションの1階部分は遺跡を見せるよう市が整備するとともに、容積率を緩和するなど方法はあったと思うが、そこまでの域に達していない、つまり、遺そうとしていないのが現状である。これは、記録保存やモニュメント設置が、元々は埋蔵文化財の考え方であるから仕方がない。
また、石を別の場所で活用する点については、やむなくそうするということで、それでよしとは言えない。ただ、活用の際に石を全く加工できないかと問われると、加工しても構わないというケースもあり得る。
文化財の活用については、日本の場合は専門家だけが考えていて、一般の意見が入っていない。専門家も分野が偏っており、建造物のあり方など検討が行われていない。
今回は、その場で石を置くだけなのか、別の場所で見せるのか、十分議論をしてやればいいと思う。今までは文化財は専門家がやっているのを見ていればよいという世界であった。お金がなくてできない、という結論もあるだろうが、そういったことも、皆さんでどう議論していくか必要であるが、議論の場があまりない。
議論の場という点で言えば、玉村町では「歴史浪漫たまむら委員会」を文化遺産をどのように活用していくか、ということを議論するためだけに組織した。2年間やって、町長にも提言をしているが、そこでは、どうやって文化遺産を皆さんに見せて、何が欠けていて何が問題なのか、という辺りから提言をしている。
その意味では、先ほどの、新たに価値付けをして活用することは、少しも文化財的に間違ったことではないと思う。
(戸所副会長)
地理学の立場からすると、石が出土した地点とは別の場所に置く場合、案内図を掲示し、どこに展示しているか明確にすればよいとも思えるが、時間が経過することで、事実誤認が生じてくる場合がある。
かつて京都にいたとき、ある県の歴史景観復元調査の際に経験したことであるが、地元の郷土史家同士で国府場所の論争があり、その後、一方が主張地に国府跡の石碑を建ててしまった。その結果、時の流れとともに多くの人々が「そこが国府だ」と認識するようになっていた。
今回も、現地において、半永久的に別のところで石が見られることが明確になっていればよいし、また、別問題として、石を活用する際に〇〇の石としてうまく説明ができるか、間違った形で伝わっていかないか、こういった点は、初期の段階でクリアにしておかなければならない。
なお、地下鉄の虎ノ門を降りて文化庁へ向かう際に、江戸城の石垣がガラス張りで見られる。なので、前橋城大手門もやろうと思えばできるのであろう。ただ、条件が整わないとのことであるので、少なくともそこにあるという標識等の整備は必要であろう。できれば現物が見られるようにし、さらにその上に門が建てばインパクトがあるが、そこに辿り着くまでの間どうするかということはよく議論した方がよい。
(事務局(塚田都市計画課長))
利活用という点で色々なお話をいただいた。大手門石垣の石だけでなく、同様に保管されている葺き替え前の臨江閣の屋根瓦などはそのままにされており、もったいないなと思う。例えば臨江閣の謂れのある前橋公園の園路等に見せる形で並べたりすれば、「こういうものがあったのか」と市民が体感できる。今後、そういったことができるようになればいいな、と思っている。
4 その他
特になし
5 まち歩き
日下田委員から、「馬場川通りアーバンデザインプロジェクト」の概要説明ののち馬場川通りを歩きながら、整備内容を解説いただいた。その後、有志で11月30日に設置した爆撃照準点マンホール及び案内看板を見学
6 閉会
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更新日:2025年01月23日