朝倉・広瀬の文化財を訪ねて

「朝倉・広瀬の文化財めぐり」の一部を掲載しています。詳細は下のパンフレットをご覧下さい。

 利根川と広瀬川にはさまれた朝倉・広瀬地区は、かつて200近い古墳が造られ、県内屈指の古墳群を形成していました。こうした古墳を中心として、朝倉・広瀬地区には次のような文化財等があります。

(天川)二子山古墳(国指定史跡)

(天川)二子山古墳

文京町三丁目26

 前橋市街地の南東、文京町から朝倉町にかけて、かつて大小の古墳が集中的に存在していました。(朝倉古墳群)(天川)二子山古墳(あまがわ・ふたごやまこふん)は、その古墳群中の代表的なものです。
 全長104メートルの前方後円墳で、横穴式石室と考えられています。全長にくらべて後円部の径や前方部の幅が比較的大きく、くびれの少ないずんぐりとした形をしています。二段に築かれた墳丘の表面には、葺石(ふきいし。(注釈1))とみられる川原石が多く認められました。また、周堀の痕跡も残されていました。6世紀後半の築造と推定されています。

  • 全長104メートル、前方部(幅76メートル、高さ9.5メートル)、後円部(径72メートル、高11メートル)
  • 6世紀後半

(注釈1)葺石:古墳の墳丘斜面などに、貼り付けるように葺いた石

八幡山古墳(国指定史跡)

八幡山古墳

朝倉町四丁目9-3

 八幡山古墳(はちまんやまこふん)は、四角形に台形を接合したような形の、全国的に数少ない前方後方墳です。全長130メートルで周堀があり、周堀を含めると範囲は南北180メートル、東西125メートルに及びます。
 縦穴式石室とみられますが、古墳内部は調査されていないので、詳しいことはわかりません。後方部の墳頂部近くに玉石敷きがあり、一部に粘土の詰めてある部分も認められたとのことです。4世紀中頃の築造と推定されてます。

  • 全長130メートル、前方部(幅59メートル、高8メートル)、後方部(幅72メートル、高12メートル)
  • 4世紀後半

前橋天神山古墳(県指定史跡)

三角縁神獣鏡

広瀬町一丁目27-7

 前橋天神山古墳(まえばしてんじんやまこふん)は、もとは全長129メートルの大前方後円墳でしたが、現在は、後円部の中心部分だけを残しています。
 後円部の表面は三段に構築されており、石敷きの頂上部には土器等が配列されていました。また、周堀や葺石の跡も確認されました。
 埋葬施設は、後円部石敷下の墓壙(ぼこう。(注釈1))の底部をさらに掘り込んで造られた粘土槨(ねんどかく。(注釈1))で、長さ7.8メートル、幅1.2メートル前後の巨大な割竹形木棺(注釈2)を覆ったものと判明しています。
 発掘調査により、三角縁神獣鏡をはじめ、銅鏡、銅鏃(どうぞく。(注釈3))、剣、大刀、斧、玉など15種165点の副葬品が発見されました。出土品は国の重要文化財に指定されています。
 東国で最も古い古墳のグループの一つと考えられ、4世紀中頃の築造と推定されています。

  • 全長129メートル、前方部(幅68メートル、高さ7メートル)、後円部(径75メートル、高さ9メートル)
  • 4世紀後半

(注釈1)壙、槨:棺を置くところを槨という。槨は壙の中に造られる。
(注釈2)割竹形石棺:丸太を縦に二つに割って身と蓋とし、中を刳り抜いて円筒形の棺としたもの。
(注釈3)鏃:矢の先端につけて、目標に突刺さるようにしたもの。

金冠塚古墳(市指定史跡)

山王町一丁目13-3

 金冠塚古墳(きんかんづかこふん)は、二段の墳丘を持つ前方後円墳で、周に堀跡もありました。
 石室は横穴式石室で後円部の南西方向に開口し、角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)を五面に削った石を用いています。玄室(注釈1)は、長さ3.6メートル、幅2.6メートルで、河原石を使った馬蹄型(ばていけい)の裏込め(注釈2)で包み込まれています。
 石室から出土した金銅製冠(こんどうせいかんむり)は、新羅(韓国慶州)の古墳から出土した冠に類似しており、6世紀後半には、すでにこの地に大陸文化が深く浸透していたことがうかがえます。冠は、東京国立博物館に収蔵されています。

  • 全長52メートル、前方部(幅42メートル、高さ3メートル)、後円部(径32メートル、高さ4メートル)
  • 6世紀後半

(注釈1)玄室:横穴式石室などの、死者を埋葬する墓室
(注釈2)裏込め:構造物などの背面や裏側の空間などを埋め戻すこと。または、その材。

不二山古墳(市指定史跡)

文京町三丁目151-6

 不二山古墳(ふじやまこふん)は、朝倉古墳群の北端に位置する前方後円墳で、墳丘の北および西側の一部は削られていますが、かろうじて原型を保っています。
 後円部南側には、かつて横穴式石室が開口していましたが、現在は閉じています。
 石室は両袖型で、五面削りの角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)を用いて、互目積みに構築されています。副葬品は既に盗掘されていたため、その全貌は明らかではありませんが、冠をはじめ直刀、槍、耳環などがありました。

  • 全長54.5メートル、前方部(幅35メートル、高さ6メートル)、後円部(径31.5メートル、高さ7メートル)
  • 6世紀末

亀塚山古墳(市指定史跡)

山王町一丁目28-3

 亀塚山古墳(かめづかやまこふん)は、前方後円墳の中でも古い形の帆立貝式古墳です。帆立貝式古墳とは、円墳状の主部に低く細長い方形の壇状部を取り付けたもので、形が帆立貝(ほたてがい)に似ています。しかし、この古墳は「亀」の形を思わせるので、古くから亀塚と呼ばれてきました。
 埴輪などから6世紀前半の築造と推定されています。

  • 全長60メートル、後円部径40メートル、高さ6.5メートル
  • 6世紀前半

文政四年天川原村分間絵図(市重文)

天河原村分間絵図

文京町三丁目27-26(県立文書館)

この絵図には、東道、広瀬川、端気川、寺の境内地をはじめ、田畑は上、中、下、下下に色分けされ一筆ごとに面積、所有者が記されています。

下長磯あやつり式三番附人形3個(県無民文)

下長磯あやつり式三番叟附人形3個

下長磯町281 稲荷神社

人形によって演じられる式三番叟は全国でも珍しく、毎年4月15日、下長磯町の稲荷神社拝殿で奉納されます。式三番叟は二人遣いの人形によって演じられます。しめを張ったひつに人形を入れおねりをすることや式三番叟を舞ったあとの面箱くぐりなどの行事は神事芸能としての特色を表しています。昭和45年に国の重要選択民族芸能として指定を受けています。

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更新日:2019年02月01日