秋元越中守家(あきもとえっちゅうのかみけ)
あらまし
秋元家初代長朝(ながとも)は、関ヶ原の戦いの功績により、慶長6年(1601)に総社6千石の領地を賜ると利根川右岸、越後への街道沿いの植野勝山に総社城を築きました。城下を「総社」、古来の総社の地を「元総社」とし、総社地区の町割りの基礎を築きました。
長朝の引退に伴い、元和8年(1622)、2代泰朝(やすとも)が家督を継ぎますが、寛永10年(1633)に甲斐国谷村(やむら)藩(山梨県都留市)へ移封をし、総社藩は廃藩となりました。
総社町・光巌寺前の宝塔山古墳上に立ち並ぶ歴代藩主の墓所など、総社町には秋元家にまつわる数多くの史跡や名所が残っています。
元景寺(初代長朝が父・景朝の供養のため建設) 秋元越中守
イラスト 井田ヒロト
天狗岩用水の開削
慶長2年(1602)、初代長朝は、干ばつと戦で荒らされ疲弊していた領地を豊かにするため、3年間の年貢の免除を条件に領民を集め、利根川から取水する用水を開発しました。大変な難工事でありましたが、巨石の除去の際に天狗が舞い降りて手伝ったとされる伝説があり、この用水は「天狗岩用水」と呼ばれ現在でも農業用水として使われています。
領民から愛される秋元氏
新田を拓き、1万6千石余の肥沃な土地とし、領民の生活を豊かにした初代長朝は、総社領民から末永く愛されることとなります。
光巌寺の霊廟前に建立された「力田遺愛碑(りょくでんいあいのひ)」は、秋元氏が総社の地から去った143年後、開削の恵みに感謝した当時の領民が「一握りの米」を出し合って建てたとされています。封建時代に領民が藩主の治績を称えた碑は全国的にも珍しく、藩主と領民の温かい人間関係が見て取れます。
光巌寺(前橋市指定重要文化財)
力田遺愛碑
総社秋元公歴史まつり
秋元公を称え平成2年から始まった総社町に根付くおまつり。現在は2年1度開催されています。メインイベント「武者行列」は勇壮華麗で必見です。
日時
令和元年11月10日(日曜日) 午前10時~午後3時
場所
総社公民館ほか
主な内容
出陣式、武者行列、総社マルシェ(飲食・物産)、総社オリジナル紙芝居上演、前橋高校「書道パフォーマンス」、勢多農林高校郷土芸能部 勢凛 和太鼓演奏ほか
関連イベント
前橋の偉人たちキャラクターデザイン
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更新日:2019年12月24日